すべてのジャングラーに幸あれ
「また変更か」と嘆くジャングラーのみなさん、お元気ですか。
LoLのジャングルと言えば、不遇なロールの代名詞です。
レーンが不利になれば責められ、スマイト勝負に負ければなじられ、TopとBotから同時に「gank plz」と要求される。
その手の理不尽を体験をしたことがないジャングラーは1人もいないでしょう。
しかもゲーム内にとどまらず、Riotまで集中的に変更を加えてきます。
ポップ時間が変わった、知らない蟹が登場した、謎の植物が生えた、ドラゴンやヘラルドに調整が入った……
と、明らかに他のロールよりも覚えることが多いです。不公平です。
そしてそんな不遇なジャングルは、私の一番好きなロールでもあります。
ではなんでジャングルばっかり変更されるのか、というのが今回の話。
ゲームバランスの調整はジャングルで
LoLは「5vs5のチームゲーム」と言われますが、個人プレーとチームプレーの割合はロールによって大きく違います。
個人プレーの割合が大きいロールと言えばTop。「孤島」の呼び名はダテじゃありません。4/0/0とか、逆に0/5/0なんてスコアでゲームが終わることもしょっちゅうです。
逆にチームプレーの割合が大きいロールの筆頭が、ジャングルです。 何をするにもレーナーとの相互作用が大事です。
さらにジャングルはいろんな意味で特徴的なロールで、LoLのゲームバランスを決めていると言っても過言ではない、便利な、もとい重要な役回りなのです。
ジャングルの調整で決まることその1
ゲームにおけるチームプレー成分の割合
ジャングルはチームの中でただ1人レーンに縛られていないので、マップの中で局所的に人数差を作る選択権を持っています。
ジャングルの周回速度やレベルアップ速度をいじると、レーンの戦いに介入できる回数や影響度が増減し、ひいてはチームプレーが起こる頻度も重要度も増えたり減ったりします。
ジャングルの調整で決まることその2
ゲームの複雑性
相手チームから基本的に姿が見えていないのも、ジャングルの特徴。
「どこにいるかわからない」ということは、あらゆる可能性に対応する必要があるということです。
たとえばジャングルの周回速度を早めると、ジャングラーが自由に使える時間が増えます。すると、レーナーが考慮すべき状況の可能性の数=ゲームの複雑性が増えます。
極端な話、たとえば調整が入って各レーンに1人、上ジャングルに1人、下ジャングルに1人が最適な環境になった場合、どこにいるかわからない相手が2人になるので、ゲームの複雑性は跳ね上がります。
ジャングルの調整によって決まることその3
ゲームスピード
レーナー同士は建前としては同じゴールド・経験値を得る権利があるので、そこに介入してくるジャングルが相対的に強ければ強いほど、ゲームが動くスピードは上がります。
ヘラルドやドラゴンの価値が上がっても、差がつきやすくなるので展開は速くなります。(スカトルでもたぶん多少速くなるはず)
中でもチームプレー成分と複雑性は、ジャングル以外で調整しようとしたらものすごく大がかりになります。
たとえば全チャンピオンの移動速度を倍にしたりすれば、チームプレー成分も複雑性も増えるでしょうが、それだと今のLoLのゲーム性は根底から崩れます。
要するにジャングルは、Riotにとってゲームバランスを変えるための重要な調整装置なんです。
そしてゲームの中でも、LJLで多くのチームがKRプレーヤーをジャングルに起用していることからも分かるように、ゲーム理解がとりわけ要求されるロールでもあります。
まぁそんな風に無理に褒めなくても、幾多の変更を乗り越えて今まで「Jg」とコールしつづけてきた人は、すでに森の住人の心を持っていることでしょう。
今回の変更でお気に入りチャンプが辛い状況に追い込まれた人も多いと思いますが(ラムスさん……)、懲りずにまた森でお会いしましょう。
極振りの誘惑
極振りというゲーム用語がある。
力や素早さのようなパラメータを自分で振り分けられるゲームで、どれか1つだけを集中的に伸ばすという意味だ。
メリットは力勝負、素早さ勝負みたいな特定の状況で必ず勝てること。
デメリットは、苦手な状況に対応できないこと。
このメリットの誘惑が強烈で、「もしここで1ポイント攻撃力を減らして、相手のHPが1残って負けたらどうするんだ」という考えが頭をよぎると、他のパラメータに割り振るのが怖くなる。
ちなみに私はだいたい何のゲームでも、素早さ極振りの盗賊系ジョブが好きです。
そしてこの「極振りの誘惑」は、リアル人生でもよく遭遇する。
「勉強も人間関係もぜんぶ捨ててゲームの練習をしたい」とか、
「文化祭の準備なんかに時間を取られて、受験に落ちたらどうするんだ」とか。
これは最近の教育も影響してて、「誰にも負けないものを1つ作れ」とかよく言うじゃないですか。あれ系の言葉は、生徒には極振りのススメに聞こえます。
極振りの落とし穴
で、極振りにはいくつか落とし穴があります。それも結構大きいやつが。
・まず単純な成長量で言うと効率が悪い。
何でも始めた最初はすごいスピードで伸びるけど、一通り学習した後はどうしてもスピードが鈍る。とても細かい努力を積み重ねて、やっと少しだけ伸びた実感が得られたりする。
(パワポスキルが皆無なのは許してほしい)
他のことに少し時間を割くだけで、効率よく伸びる部分を美味しいとこ取りできるケースは結構ある。
・あと、「〇〇は凄いけど、他のところがダメだから〇〇的にもダメ」となる可能性がある。素行が悪いとか、コミュニケーションに問題があるとか。これは単純にもったいない。
・極振りしたものが成功しなかったときに困る。
成功した時の収入が億を超える野球やサッカーですら、親は高校や大学へ行かせようとする。今のプロゲーマーならなおさらかもしれない。
極振りにはロマンがある
ただ、じゃあ極振りなんかやめればいいかというと、そうとも言い切れない。
極振りしないとたどり着けないレベルというのは確実にあって、各界のトップランナーにはそういうタイプの人も結構いる。将棋の羽生さんとか、かなり能力のバラつきが大きいけど極振りがハマって超一流になった人はいて、簡単には否定できない。
あと、やっぱり極振りにはロマンがある。
マンガでも、「全ての能力がハイレベルなキャラ」より「誰にも負けないものを1つだけ持ってるキャラ」のが魅力的じゃないですか。NARUTOのロック・リーとか、ハイキューの山口とか、ヒロアカやワートリの登場人物たちとか。
自分でも何の話かわからなくなってきたのでまとめますが、極振りにはロマンと可能性がある代わりに、リスクがあるということです。
0:100なのか、20:80なのか、10:10:10:10:60ぐらいなのか。
持ちポイントには限りがあるので、ステ振りはとても大事です。ご利用は計画的に。
LANパーティの立ち回り
ゲーマーとパリピって相性が悪そうに見えるけど、TwitchパーティやC4LAN(とその反応)を見ても、リアルで会って遊びたいっていう願望はゲーマーの半分くらいが持ってると思う。パーティーで実際にうまく立ち回れるかどうかは別の話として
— 八木葱@eスポーツの話 (@cho_tsugai) 2018年5月11日
少し前にこんなことを書いた。でもC4LANへ初めて行ってみて、ちょっと考えを改めた。
理由はLANパーティが思ったより社交の場で、立ち回りの難易度が想像以上に高い空間に見えたから。
ざっくり言って、LANパーティを満喫するためには次のような条件のどれかを満たす必要があると思う。
1.自分がプロゲーマー、配信者、何らかの有名人である
2.人目を惹く何かがある。たとえば腕前、ド派手なPC、コスチュームなど
3.ゲーマーという共通点を武器に人と仲良くなるコミュ力
4.知人と一緒に行く
要は、人と話す機会を確保しておいた方がいいということ。
このどれも持たずにPCとゲーム愛だけを握りしめて会場へ行った場合、運に恵まれない限りはツライ思いをする可能性が高いと思う。
私自身は会場に知り合いがいるのも分かってたし、仕事柄初対面の人に話しかけるのも苦じゃない方だ。それでも「これどうしたもんかな」という瞬間はあった。
あれがもし18歳の時の自分だったら、かなり早い段階でそっと帰るしかなかっただろう。
ということで声をかけてくれたり話し相手になってくれた方々、本当に助かりました、ありがとうございます。
誤解しないでほしいのは、最初のハードルさえ越えてしまえばLANパーティはとてもいい感じの空間だったということ。
一番実現しやすいのは知人と一緒に行くことだろうから、検討してる人はまずそれをおススメしたい。少なくとも「1時間くらい相手をしてくれる人」を2、3人確保して行くといいと思う。あと「一緒にごはん食べる人」もいた方がいい。
そのうえで、勇気を振り絞って誰かに話しかけられたら最高。たぶん話しかけられて嫌な顔をする人はほとんどいないので、そこは信頼していいと思う。自分がやってるゲームの話をしたくないゲーマーは少数派だ。
そういう意味でも、最初のハードルだけが関門のイベントだと思った。
Daraさんの引退に思うこと
Daraさんの引退やPENTAGRAMの在留カード問題についてあまり言及してこなかった人として、その理由といま思ってることをまとめてみます。
この問題に言及してこなかった理由はほぼ1つだけで、「何が起こったのかをわかっていないから」です。
LJLの発表、PGMの発表、BCの反論、Daraさんの当時および今回のツイートはもちろん全部見てますが、全体像がハッキリわかりません。
Daraさんが巨大な苦痛を受けたこと、引退に追い込まれたことだけが確かで、その経緯が正直全然わからない。
経緯を知っていれば何を言うか言わないかの線引きを考えることもできるでしょうけど、経緯を知らずに発言するにはあまりに重大な案件と考えました。
この考えは今も変わっていないので、問題そのものには言及しません。
ただ、その周囲の躊躇が状況の解明を滞らせた面はたしかにあって、もしかしたら自分のレベルでも最悪の結果を避ける方法が何かあったのでは? ということを感じています。
まずは何が起こったのかという事実を明らかにすることが最初で、全てはそれからです。適切な判断がなされることを願います。
あと、個人的に思っていることも書いておきます。
まず、いまコミュニティに渦巻いている「何も言わない人は日和見だ」という同調圧力に満ちた空気はさすがにやめませんか。
事情を知らない人が発言を控えるのは自然なことだし、まして事情を知り得る立場の人がそれを公表できるわけがありません。
そして、PGMが邪悪な組織であるという見方にも現時点では同意しません。
「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」という格言に照らせば、今回の事件の中で何らかの不備や不足があったことは確かでも、現時点で悪意の存在を確信するのは勇み足だと思います。
金銭トラブルならともかく、PGMにとってメリットがあるように見えない行為の動機もどうにも思いつきません。
最後に、Daraさんの引退が本当に残念です。
LJLにとって特別な選手でしたし、私も何度も話をさせてもらった選手でした。
昇格を決めて「(LJLは)家みたいな、私が存在してるところ」、「Rokiと私は今から始まる」と話してくれたのを思い出しても、一番無念なのは本人のはずです。どんな形であっても、彼の今後が明るいものであることを祈ります。
PUBG、Fortniteが流行った理由を考える
日本でMOBAが流行らない理由という話が盛り上がっていたので、それはみんなに任せることにして、前から考えてた「世界でバトルロイヤルが流行った理由」についてまとめてみる。
私が知っているのはPUBGとFortniteで、特にバトロワの基本型に近いPUBGをイメージしてもらうとわかりやすいと思う。
それでは早速バトルロイヤルゲームのいいところ
1.覚えることが少ない(ように見える)
最近のゲームは覚えることが多い。コンボとかフレームとかクールダウンとか効率とか。
FPSがもともとジャンルとして直感的なのに加えて、生き残るというルールのシンプルさもあってわかりやすい
実際は武器や乗り物のポップ場所とかあるんだけど、ほとんどのプレーヤーにとってそれは「覚えること」に入ってない。運と勘が勝負を分けるように見えることが参入のハードルを下げてる
2.負けてもイライラしない
そもそも100人に1人しか勝てないから負けがデフォルトで、負けてもイライラしない。でも勝った時はめちゃくちゃ嬉しい。
しかも負けた瞬間にゲームが終わるから、不利になりながら追い詰められる時間が存在しない。
LoLで敗色濃厚の15分は楽しくないし、味方がサレンダー通してくれなかったらもう最悪
負けそのものよりも、じりじり追い詰められる時間の方がストレスな人も多いはず
3.人間と戦ってる感じが薄い
LoLや格ゲーは同じ人としばらく向き合うから、「この人ゴリゴリくるな」みたいに相手の人間性を感じる場面がある。でもバトロワは遭遇したら撃ち合って死ぬから、それがあんまりない。
だから、(煽られない限り)人に負けた感じが薄い。
相手に負けたっていうより、自分が死んだっていう感じ。PvPだけど、感覚的にはPvEに近い
100人中何位でした、っていう結果の出方も勝ったor負けたよりも「自分の成績」に目がいくようになってる
4.味方の足を引っ張る罪悪感が薄い
自分が弱くてもやられるだけだし、LoLみたいに味方に怒られたりしない。だから友達と一緒にゲームしても険悪にならない。かっこ悪い死に方はむしろ笑ってもらえる
逆に連帯感はアイテムの共有とかでちゃんと感じるから、マルチプレーの楽しさも大きいし実力差があっても組みやすい
5.KDAもランクもそこまで意識されない
ゲームのデザインとして、相手の強さも見えないし自分の強さも見られない。客観的に自分の弱さを突き付けられる場面が少なくて、劣等感を感じるタイミングが少ない
総じて言うと、適当にも遊べて、ストレスになる要因が少なくて、負けても精神的なダメージにならない作りになっている。
これはRiotの齋藤さんも言ってたけど、短い動画にしてSNS映えするのも要素としては大きかった。
なんにせよパーティーゲームとしてとても良くできてて、流行ったのには理由があったと思う。
ただ逆に言うと成長とか発見を自然に感じるポイントが少なくて、自分で細かく課題とか修正点を見つけるタイプじゃないと飽きが来るのがはやいと思う
そしてそういうタイプにとっては、現状ではLoLや格ゲーの方が奥深く感じそうな気がする
PUBGの人口は結構減ったし、Fortniteがこの勢いをどこまで維持するかは気になるところ。
ということで、バトルロイヤル形式は本当に革新的な発明だった。
でも、出てきた瞬間の「すべてのゲームを過去にする!」みたいな高揚感はさすがに落ち着いてきて、いいところと物足りないところが見えてきた段階なんだと思う。
なんにせよ新しいジャンルが勃興する瞬間はテンション上がるから、また何かが来るのを楽しみにしていようと思う
人気とはwikiの長さである
プロ選手の人気って、「wikiの長さ」だと最近は思ってます。
そんなことを考えはじめたきっかけは、あるプロゲーマーの一言でした。
「なんであんなに僕の名前出るんですかね」
たしかにその人は、配信やSNSで名前が出ることが多い人です。
もちろん全部がポジティブな言葉ではないけど、プロゲーマーも人気商売な部分があるので、名前が出るのは基本的にイイことです。
で、なんでその人が言及されるかを考えてみたら、いろいろ理由があって
そもそも知名度が高いとか
キャラが立ってるとか
代名詞になる試合があるとか
キャリアが波乱万丈だとか
一言でいうと「エピソードが多い」人なんですよね。
エピソードが多いっていうことは、その人の存在が喚起する感情の量、思い出せるシーンの数が多いってことです。それが人の興味を惹きつけるし、存在感にもつながります。
それで、wikiが充実してる人は人気があるということなんじゃ、と思ったわけです。
で、気になってイチローさん、三浦知良さん、羽生善治さん、ウメハラさんみたいな人たちのwikipediaを見にいったら、やっぱりものすごく長いんですよ。
「それ載せる必要ある?」みたいなのも含めて、とにかくエピソードの数が多い。
人気があるからwikiが伸びるっていうのもあるけど、wikiに書きたくなるようなエピソードが多いから人気が出る、っていう方向も確実にあるよね、と思いました。
(私が他の人じゃなくてこの4人を見にいったのも、つまりそういうことです)
この話にはちょっと不都合なことがあって、wikiって1回増えたら減りません。
だから、1回頂点に立った人の人気・存在感を超えるのって死ぬほど難しいんです。
キャリアの曲線とか色んなことを無視して雑に言い切ってしまえば、成績で超えるだけじゃダメで、wikiの長さで超えないと逆転できません。
つまり何が言いたいかというと、プロチームやリーグを運営してる人にとって「それで選手のwikiが増えるか」っていう考え方がひとつ目安にならないかなー、ということです。
なんなら、自分たちでwikiを作って小さいエピソードでも追加してったら、「へぇ」ってなると思います。
羽生さんが子どものころ将棋大会に出る時に、本人は巨人ファンなのに見つけやすくするために親が広島の赤い帽子かぶらせてた、とか将棋とまったく関係ないけど最高に可愛いじゃないですか。
ここまで書いてきていまさらですけど、もちろんwikipediaっていうのはたとえ話で、要は「ファンの頭の中にある、その人について思い出せるエピソード」のリストを増やそうってことです。
SNSでもいいし、配信でもいいし、インタビューでもいいし、オフミーティングでもいいし。
ゲームがうまいうえに自分でアピールもできちゃうナチュラルボーンスターは、放っておいても人気がでます。
でもアピールは得意じゃないけど実はめっちゃ面白い人、って想像以上にいます。
そういう人のエピソードを1個でも多く知りたいし、知ったら人に喋りたい。
ファンとかファン予備軍っていうのは、そういうものだと思うんです。
人生のピークはいつですか?
ロックバンドQueenの有名な曲の1つに『Don’t Stop Me Now』がある。
最初に聴いたのはたぶん高校生の時で、当時は「アップテンポの楽しい曲だな」くらいにしか思わなかった。
ところがこの間、ふとしたきっかけで聴きなおして驚いた。全く、全く違う曲に聴こえたのだ。
サビの歌詞はこんな感じ
Don’t stop me now
I’m having such a good time
I’m having a ball
Don’t stop me now
If you wanna have a good time
Just give me a call
意訳すると
「オレを止めるんじゃねぇ、今のオレはまさに絶好調だ! 楽しいことがしたけりゃいつだって連絡してきな」
ぐらいの歌詞で、高校生の自分には確かにそういう風に聴こえたんだと思う。
でももし今の私がこれを訳すとすれば、全く違うものになる。
「頼むから今だけは止めないでくれ、オレの人生のピークは今なんだ、長く続かないのも破滅的なのもわかってる。でも今だけは、頼むから今だけは放っておいてくれないか」
たとえばこんな感じ。
もちろん曲は変わってないのだから、変わったのは自分の心境なわけだ。
高校生の私が実感を伴って理解できていなかった「人生の下り坂」というフェーズの存在を、残念ながら体感として理解してしまった、ということだろう。
大学を出て会社に入るときに「ああ自由な人生はこれで終わりなんだ」と悲観したのも束の間、
働きはじめてみたらみたで「なんだ人生のピークはまだまだ先じゃないか」とずっと思ってきたし、なんなら今だってそう思っているけれど、それでもなんだかんだ時間は積み重なるもので、
「今が人生の絶頂だ!」と叫ぶフレディ・マーキュリーに、そこはかとない儚さと悲痛な切なさを感じるぐらいには大人になったのだなと、改めて思ったわけだ。
今のあなたにはこの曲、どう聴こえますか?