葱と鴨。

文化系、ゲーム、映画、ジェンダー。

「○○は好きだけど、○○が好きだという人は苦手問題」が解決しました。

見出しは大きく、内容は小さく。

正確には「雨宮まみは好きだけど、雨宮まみを好きだという人には身構えてしまう」という個人的に懸案だった問題が解決した、ということです。
結論としては「雨宮まみの文章は好きだけど、雨宮まみ本人は別に好きじゃないし、『雨宮まみに共感する』という人も別に好きじゃない」ということが分かりました。
以下は、そこまでの過程です。よければお付き合いください。


『女子をこじらせて』が、最近文庫になりました。
ずっと頭にひっかかってはいたのですが、雨宮まみTwitterで感想をRT連打していたので、この機に買ってみました。実際読んでみたら、面白かったです。
雨宮まみが若かりし頃に何を思い、何にひっかかって、何を勘違いしたのか、
そしてその全てについて後から振り返って何を思い、いかに言語化するか、という全ての部分が面白い。
でも、Twtitterで本人がよくRTしている「分かりすぎて辛い」みたいな感覚は正直全然ないんですよね。私が「こじらせた女子」ではないので当たり前なのかもしれませんが、感覚的には、「わかるなー」と「やー、そうは思わない」が半々ぐらい。

それでもこの本が面白かったのは、1人の人が何を考えてきたかが明快に伝わるからです。共感はできなくても、理解できるように書いてある。多分こういうのを、文章が上手い、というんだと思います。
そういえば、ジェンダーをテーマ(の1つ)として持っている女性の文筆家に名文家が多いのはなんでなんでしょうね。ずっと不思議に思っていますが、その疑問が解決される前に、また1人増えてしまいました。


ただ読みながらしみじみ思ったのは、「この人と友達でいるのは大変そう」ということでした。一言で言えば「面倒くさい人」という感想です。
ああ分かっています。「向こうもお前と友達になりたいと思ってねーよ」というのは全く正しいです。でもこれは上から目線ということでもないつもりで、自覚としては消費者目線に近いものなんです。
「作るものの好き嫌いと、人の好き嫌いは別だよね、普通に」という感じでしょうか。
今回で言えば、「雨宮まみの書く文章、文章の書き方は好き。でもこのパーソナリティ自体は好きじゃない」というもの。

ここで冒頭に戻るのですが、「雨宮まみに共感する」と言っている人が仮に本人と同じパーソナリティだった場合、きっとその人についても私は「面倒くさい」と思うのだろうから、身構えるのには理由があったのです。
さらなる難問「○○を好きって言ってる自分が好きなんでしょ問題」はおいておくとしても、です。


最近もう1つ似たような経験をしたのは、村上春樹
ご多分にもれず、私も村上春樹が読者のメールに返事を書くサイトを時々見ていました。
伝え聞く本人のパーソナリティも、その小説もずっと好きではなかったけれど、そのやりとりを読んでいる中で、村上春樹の「読ませる文章を書く技術」の高さに本当に感服したし、その部分については好きになりました。


ということで、もやっとが1つGW前に解消したのでした。