葱と鴨。

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ディズニーは、完全に本気だ~『スターウォーズ/最後のジェダイ』感想~

ネタばれをおおいに含みます。ご注意ください。

 

スターウォーズ/最後のジェダイ』は、ここ数年ディズニーが掲げていた「女性をエンパワーしよう」というキャンペーンをさらに一歩進めたものだった。

 その方法は強烈で、どのくらいかというと、私はエヴァンゲリオン旧劇場版を思い出した。庵野秀明がアニメ映画の中にエヴァマニアとネット掲示板の実写映像を入れ込んでまでファン批判をした、アレである。その話をしてみようと思う。

 

旧来のファンに対する、明確な「NO」

ディズニーがルーカスフィルムを買収してスターウォーズの新三部作を作ることになったその第1作・エピソード7は、多くの女性を含む新しいファンを獲得すると同時に、旧来のファンから2つの意味で評判が悪かった。

1つが「おれたちのスターウォーズを返してくれ=前と違うことをやるな」

もう1つが「エピソード4や6の焼き直しじゃないか=前と同じことをやるな」

 

これを受けてディズニーが「オッケー、本気だすわ」と作ったのが『最後のジェダイ』。

もちろん彼らの決断は、スターウォーズのお約束を全力で破壊しにかかること。全編で「スターウォーズならこうなるよね」という予想がこれでもかと裏切られ続ける。ぱっと思いつくだけでも、

 

・エースパイロットの独断専行が、逆に被害を拡大する

・シリーズで何度も成功してきた少数での潜入ミッションが失敗する

・人探しはフォースの導きで見つかるはずなのに、見つからない

・探し人の代わりに見つけた悪人面の奴が、「実は善人でした(ランドなど)」とならずに普通に裏切る

・彼の呼称はコードブレーカー、つまりスターウォーズのコード=お約束を破す者

・ルークがレイの修行をしない

・伝統の建物を守る魚人たち(≒守旧派のファン)は、新時代の象徴であるレイを嫌う

・ルークが後生大事に守ってきたジェダイの伝説の文献があっさり燃える(『君の名は。』みたいだ)

・さらにヨーダにダメ押しで「古いものは乗り越えられるのが最後の仕事」と言わせる

・決めゼリフ「フォースとともにあらんことを」がカブる。しかもその後レイアは譲ってしまって言わない

・暗黒面側のボスが、あっけなく死ぬ

・三部作の2本目ではルーク、アナキンの右腕が切られたけど、レイは切られない

・何よりレイが、ルークの娘じゃなくて借金で困った親に捨てられた子!

 

 「おれたちのスターウォーズを返してくれ」というファンに、正面切って「あなたたちのような過去にしがみつく人の相手はしない」と言ってのけたのだ。

 

伝統の中には、もちろんジェンダーロールも含まれる

そしてもちろん、男女の対比もふんだんに出てくる。

・ポー(男性)率いる攻撃隊が敵戦艦を撃墜するが、女性がその犠牲になる

・ホルド(女性)からポーがクーデターで指揮権を奪うが、レイア(女性)に撃たれて失敗する

・自爆特攻で敵の大型砲を止めようとするフィン(男性)は、ローズ(女性)に助けられる形で妨害されて失敗(その直前に、ホルド(女性)の自爆特攻は成功している)

ジェダイの伝統に縛られ、戦場に居合わせることもできないルーク(男性)、そのルーク(=伝統の象徴)に執着し恐れるあまり彼の幻影相手に滑稽な一人相撲を取るレン(男性)。

・逆にルークのもとを颯爽と巣立って新しい道を歩き始めるレイ(女性)、伝統の価値とその限界を深く知るがゆえにその縛りから自由なヨーダ(無性)

 

他にも数え上げればキリがないくらいで、全体を通じて男性のヒロイズムが女性によって否定される場面が極めて多い。

特に冒頭の敵戦艦撃墜では、「これまでのスターウォーズの男性のヒロイズムが、そのコストを女性(弱い立場の人)に押し付けることで成立していた」ことが明示される。

それでも、『最後のジェダイ』には、女性の優遇ではなくあくまでも対等性、フェアネスを目指した痕跡も見られる。

男性からヒロイズムを取り上げて女性に配分すると同時に、ポーを撃つレイアや、 自爆特攻するホルド、ファルコンの銃座に嬉々として座るレイ、爆弾を落とす女性、敵勢力の女性オペレーターなど、手を汚す役目も女性に割り振っている。

これまでの男性のヒロイズムは女性から権力を取り上げる一方で、「最前線で戦うことの免除」という特権を与えて保護していた側面がある。

しかしディズニーは、女性を前線に引っ張り出して、権力と一緒にそれに伴う負担と責任も与えようとしている。

 

スターウォーズでやったからこそ

旧ファンの反論で大きいのは「フェミニズムは結構だが、勝手にやっててくれ。スターウォーズに触ってくれるな」というものだが、まさにそこにこそ、ディズニーがこのシリーズに山盛りのフェミニズムを投入した理由もある。

 

日本から想像する以上に、『スターウォーズ』はアメリカではいわば宗教であり、伝統芸能である。つまり多くのコード=お約束があり、熱狂的なファンコミュニティを持っている。

彼らはスターウォーズの最大の顧客であると同時に、エピソード4~6の「初期三部作至上主義」ゆえに最凶のクレーマー集団でもある。

第2次三部作で加えられたジャージャー・ビンクスや、1997年の特別編で加えられた変更に頑強に抵抗するファンの様子は、『ザ・ピープルvsジョージ・ルーカス』(ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス - Wikipedia)というドキュメンタリー映画にまでなった。

たとえば、ハン・ソロが賞金稼ぎとテーブルを挟んで話し合いをしていたものの、決裂してソロが相手を撃ち殺すシーン。

元祖バージョンではソロが先制攻撃で銃を撃つが、特別編では賞金稼ぎが先に撃ち、それをかわしてソロが相手を撃ち抜く。つまりより正当防衛っぽい状況を作っている。

これに対して一部のファンが「ソロは必要とあらば目の前の相手を殺すことも厭わないアウトローであり、それこそが彼のアイデンティティであり魅力なので、この変更は認められない」と怒った、とかそういう話だ。

 

 つまりスターウォーズは映画界の伝統主義の象徴みたいなところがあって、その本丸に直球で挑戦状を放り込んできたのだ。凄い。

【余談:もちろんこの作品に難癖をつけるのは実は簡単で、男性/女性という差別構造に焦点を絞った結果、史上もっとも宇宙人の存在感が薄いスターウォーズになっている。

本来ならホルドやローズ、またはコードブレーカーのあたりに宇宙人を当てるところだと思うけれど、たとえばホルドを宇宙人にすると「人類を守るために宇宙人が自爆特攻」というこれまたエグいことになるし、あてはめていったら宇宙人のポジションがなかったのかもしれない。

差別問題と戦う時は常に「どうして他の差別ではなくて、その差別に今フォーカスするのか」という、正解のない問い返しに直面するのは避けられないので(他の差別だって本当は同じくらい大切だから答えられない)、今回は人間/宇宙人という線引きには目をつぶることにした、というしかないのだ。】

差別主義の権化から、それと戦う存在に変わったディズニー

ディズニー社を作ったウォルト・ディズニーが強烈な人種差別主義者、女性差別主義者だったのは有名な話だ。

彼が作った作品の中で王子様とヒロインはいつだって美形の白人だったし、彼は死ぬまでディズニー社の幹部に黒人と女性を入れなかった。もちろん支持政党は共和党だ。

だから初期ディズニー作品では、『白雪姫』も『シンデレラ』も『眠れる森の美女』も、女性は能動的なアクションをほとんど起こさず、王子様に選ばれるのを待っている。

眠れる森の美女のオーロラ姫にいたっては、森で寝てるだけ。というかこの話の原作は、オーロラ姫が何をしても起きないのをいいことにレイプされて妊娠するという、悪質な大学サークルかと勘違いするような話だ。よくそんなの原作にして子供向けの映画作ったな……。

 

という時代もさすがに終わり、『アラジン』あたりから人種的にはだいぶ平等が近づいてきた。そして2010年以降、ディズニーは男女差別に本気だ。

それまでディズニー自身が広めてきた「女の幸せは王子様に見初められ、結ばれること」というテンプレに、今度は一転して戦いを挑みはじめた。

男性との恋愛よりも姉妹愛・自己実現を優先させた『アナと雪の女王』が有名だけど、他にも『塔の上のラプンツェル』や『ズートピア』、実写版でも『イントゥザウッズ』や『マレフィセント』のような、能動的な女性をかっこよく描く作品が目立って増えてくる。

フェミニズムのアイコン的存在であるアンジョリーナ・ジョリーやエマ・ワトソンを起用するのも当然だ。

 

トランプ大統領の影を見るのはやりすぎ?

スターウォーズ/最後のジェダイ』も、もちろんその流れの中にある。

そしてこのタイミングで男女差別から一歩踏み込んで、血統主義、伝統主義に挑戦を仕掛けたのは、たぶん大きく言えばトランプ大統領の影響もあると思う。

「Make America Great Again」なんて、そのまんま過去にこそ栄光があったという話で、世界を見渡しても伝統回帰や他民族排除の空気は広がっていて、ディズニー的には戦いどころだったということかなぁと想像する。

「未来が明るいことを信じる」というのはベイマックスの時にも感じた彼らの身振りで、それを貫くのなら進歩主義の旗は降ろせない。

とはいえ「スターウォーズらしい」部分も随所に残っていて、現代にも通用するいいところは残したいと思っているのも伝わってくる。

監督のJJエイブラムスはエピソード4を人生のベスト何本かに選ぶほどの筋金入りのスターウォーズファンなのだから、当然といえば当然だけど。

 

ということで、第1作の公開からちょうど40年後にできた『スターウォーズ/最後のジェダイ』は、40年分のアップデートを一気に詰め込んだエポックメイキングな作品になった。

エピソード7の時点では「まぁ8も9も大体想像はつくよね。観るけど」という温度だったのだけど、これを見せられた後では、9がどうなるのか全く想像がつかなくなってしまった。

その意味でも、本当にスペシャルな一本だったと思う。

あと、ポーグかわいい。