葱と鴨。

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コミュニティというマジックワード

「コミュニティ」っていう言葉がゲームやeスポーツの話によく登場します。

どうやら大切で、あらゆる価値の源泉だということになっていることが多いんですけど、「コミュニティって結局なんなの?」という話もよく聞こえるので、自分なりの仮説を紹介します。

 

ゲームはなんでもいいんだけど、いちおうLoLでいきます。気になる人は自由に自分が好きなゲームに置き換えてください。

 

コミュニティの正体

まずゲーマーがLoLをプレーします。この時点では、ゲーマーとゲームがあるだけです。

ゲーマーは「他のLoLをやってる人たち」を想像します。それはゲーマーの集団です。まだコミュニティは登場しません。

そしてLoLゲーマーはかなりの割合で「他のLoLゲーマーと仲良くなりたいな」とか「LoLゲーマーって別ゲーの人と比べて○○だよね」みたいな形で、「LoLしてる人たち」っていう集団に親近感や帰属意識を持つようになります。まだこの時点では、集団は各ゲーマーの頭の中に存在するだけです。

でも、続けてゲーマーはこう感じます。

「自分が想像しているLoLコミュニティっていうのを、みんなも同じように想像しているだろうな」と。

ちょっと難しい言葉ですけど、この共同幻想こそが「コミュニティ」の正体だと思います。自分があると信じているものを、みんなも同じように信じているだろうと信じる、という状況です。

ここが肝なので、もう1回書きます。

自分があると信じているものを、みんなも同じように信じているだろうと、自分が信じる、というのがコミュニティの正体だと思います。

 

そして多くの人が想像する「コミュニティ」は、おおよそ重なっています。LoLゲーマーと、プロシーンのファンと、イベントとかをする人と、レイヤーさんと、だいたいそんな感じでしょうか。これが「共同」の部分。

でも所詮は各人の幻想なので、「コミュニティを大切に」っていう話をしてる時は、なんだか通じてるような気もするけどどこかが決定的にずれてることも結構あります。だってコミュニティの範囲や、コミュニティに期待する役割は人によって違うので当然です。これが「幻想」の部分です。

 

「ある」と信じる人が大勢いれば、それは実際に力を持つ。

まとめると、「コミュニティ」に実体はないんだと思います。

でも多くの人が、そういうものがあると感じていて、それがある前提で行動すると、「コミュニティ」は実際の影響力を持つようになります。

これは「神様」とか「世間」とかも同じです。「これが神様だ」って実体を指し示すことはできないけれど、人々がそれがあると信じていることによって実際に人々の行動や考え方に影響を与えるわけです。

 

この「コミュニティ=共同幻想」仮説のいいところは、「このコミュニティってこうした方がもっといい感じにならない?」っていう前向きな変更がいくらでも可能なことです。みんながそう思うようになれば、コミュニティもそう変わるので。

キッチリ定義や役割を決めるっていう考え方もあるんですけど、個人的には多少のすれ違いを必要経費として受け入れてでも、今のふわっとした気分を維持するメリットの方が大きいんじゃないかなぁと思っています。