葱と鴨。

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『風立ちぬ』が描いた時間的近視

風立ちぬ』がテレビ初公開だったらしいので、公開当時に書いた感想を置いておきます。直したいところいっぱいあるけど、ぐっとこらえてそのままで。

「近視」の映画だ、というのが最初の感想だった。
主人公の視力ももちろん悪いのだけど、むしろ「時間的近視」とでもいうような人間観の映画。

主人公は牛乳瓶の底のような、分厚い黒縁の眼鏡をかけている。
視界は狭く、周辺は歪んでいる。
それが1人の人間の目を通した時の世界の見え方だ、っていうことなんだと思う。
そして近視なので、近くのものしか見えない。
自分の将来がどうなるか、自分が作ったものがどう使われ、どういう結果をもたらすかについて、主人公は出来るだけ考えないことにしているように見える。
自分が置かれた状況について問い直すことはあまりせず、次々現れる状況や理不尽に「はい」ととてもいい返事をしながら、ただ目の前にあるものに集中する。

主人公が遠くを見られるのは、眼鏡を外して眠り、夢を見ている時だけだ。
その時だけ主人公は「あの空を、美しい飛行機で飛びたい」という子供の時に抱いた憧れに向かって、何にも邪魔されずに想像を飛ばすことができる。
だから劇中、疲れてそのまま眠ってしまった主人公の眼鏡を、妻が取るシーンは切ない。
主人公の夢の中に、妻は一度きりしか出てこない。

起きている時に見る「近く」と、夢の中で見える「遠く」はしかし、決して繋がらない。
主人公が作った飛行機は人を殺しに出かけていって、おそらく多くの人を殺し、そして戻ってこなかった。
「国を滅ぼした」とも言われた。

それでもこの映画を観た人のほとんどは、主人公について、短見だとか、考えなしだとか、まして、悪いやつだ、とは思わないと思う。
主人公は懸命であったし、真摯であったと思うはずだ。
少なくとも私はそう思う。
主人公は格好のいい人だったのだと、そう思う。

だからこれは、危うい映画だ。
「頑張ったんだから、結果的に悪い方に転がったけど否はないよ」っていう無反省はすぐそこだし、
「先のことなんかわかりっこないから、目の前のことだけやってればいいよ」っていう反知性主義とも紙一重だ。

でも72歳の宮崎駿には、人間がそのぐらい「近視」の存在に見えたんだろう。
そしてきっと、それはそれで悪くないと思ったんじゃないだろうか。
先を見通すことができないのだとしても、自分にできる、目の前にあることをやっていけばいいじゃないか、それしかないじゃないか、という風に。
それでなければ、画面にあんなにも主人公への敬意が溢れている説明がつかない。
そう考えるとやっぱり、これは格好のいい映画だと私は思う。