葱と鴨。

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『風立ちぬ』が描いた時間的近視

風立ちぬ』がテレビ初公開だったらしいので、公開当時に書いた感想を置いておきます。

「近視」の映画だ、というのが最初の感想だった。
実際の視力以上に、むしろ「時間的近視」とでもいうような人間観だ。

主人公は牛乳瓶の底のような、分厚い黒縁の眼鏡をかけている。
狭く、周辺が歪んだ視界。
1人の人間に見えている世界の範囲は驚くほど狭く、歪んでいる。遠いものはもちろん見えない。
自分の将来がどうなるか、自分が作ったものがどう使われどういう結果をもたらすかについて、主人公は出来るだけ考えないことにしている。
自分が置かれた状況を問い直すことはせず、目の前の状況や理不尽に「はい」と軽快な返事をしながらただ飛行機を作る。

主人公に「遠く」が見えるのは夢の中にいる時だけだ。
夢の中でだけ主人公は、子供の頃に描いた「あの空を美しい飛行機で飛びたい」という遠い憧れに向かって想像を飛ばすことができる。
夢の中こそが主人公にとって本当の世界で、戦争というファクターに絡め取られた現実は目に入らない。
だからこそ、疲れて眠ってしまった主人公の眼鏡を妻が取るシーンは切ない。
妻の自分がいる世界の主人公はいつも偽物で、眼鏡を外して妻のいない世界にいる主人公だけが本物なのだ。
主人公の夢の中に、妻は一度しか出てこない。

しかし眼鏡をかけて見る「近く」と、夢で見る「遠く」は繋がらなかった。
美しく空を飛ぶはずの飛行機は実際は人を殺すために使われ、多くの人を殺し、そして戻ってこなかった。
主人公の作った飛行機は「国を滅ぼした」とさえ言われた。

では主人公は悪い人間だろうか。おそらく、多くの人の目にそうは映らないだろう。
主人公は懸命であったし、真摯であったと思うだろう。少なくとも私はそう感じた。
主人公は格好のいい人だった。

格好いいのに、というよりも格好いいからこそ、『風立ちぬ』という映画は危うい。
「結果的に悪い方に転がったとしても頑張ったことは否定できない」という無反省は紙一重だし、
「先のことなんかわかりっこないから目の前のことだけやればいい」という開き直りも近い。
今で言えば「ミュージシャンは音楽を作ることしかできない」にも近い。「技術者は飛行機を作ることしかできない」みたいな。

でも72歳の宮崎駿は、人間ってのは先のことなんか本当に何にもわからなくて、目の前にあることを片付けるしかないじゃないか、というところにたどり着いたのだろう。
それでなければ、画面にあんなにも主人公への敬意が溢れている説明がつかない。