葱と鴨。

文化系、ゲーム、映画、ジェンダー。https://twitter.com/cho_tsugai

『アナと雪の女王2』が解決した「1」の宿題と、ディズニーが扱えずにいるもう1つの問題。

ネタバレを含みます。よろしければどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 






アナと雪の女王1(以下「1」)には、大きく分けて2つテーマがあった。

1つは「男女の性愛こそが最高の関係性であり、女性は受け身でそれを待つ存在である」という、いわゆるディズニープリンセス像を壊すこと。

もう1つは「社会規範に収まらない規格外の能力や意志を持った人間が社会とどう折り合いをつけるか」という、エルサはどう生きるのが幸せか問題。

 

ディズニープリンセス像については、「1」で綺麗に破壊してみせた。

真実の愛が氷を溶かすという前フリで「王子様のキス」的な男性との恋愛関係を想像させておいて、姉妹の愛こそが真実なのだという結末。もちろん活躍するのは男性より女性たち。クール、文句なし。

 

しかし「1」は、エルサがアレンデールの女王に就任して終わる。これはもやっとした。

「1」の盛り上がりのピークは間違いなく、エルサが城を抜け出して「Let it go」しながら氷の城を作って女王に変身する場面だ。

あの歌は、社会が期待するperfect girl(おとなしくて従順な女の子)を演じるのを止めたエルサが「私は自分の力を思う存分使って生きる。それで嵐になっても知ったことか、私は寒くないし」と開き直る歌だ。

つまり、社会規範に反旗を翻した場面が「1」のピークである。

なのに、その力の使い道が「女王になって王国の人たちのために氷を作るよ」みたいな保守的な形に落ち着いちゃっていいんだろうか、という疑問が残っていた。

 

だからアナと雪の女王2(以下「2」)が出ると聞いて、エルサの自己実現と社会規範の衝突・妥協点が探られることを期待した。

そしてその期待にディズニーはきっちり応えている。

エルサが女王の座をアナに譲って、魔法の集落のリーダーになる形は極めて納得的な結末だったと思う。(あれはたぶん、社会の中に居場所がない天才が、シリコンバレーで起業するイメージが重ねられている)

 

ただ、エルサを救うためにアナの描写が難しくなっていて、再び課題を持ち越したようにも感じてしまった。

 

「1」ではエルサとアナは「ベストパートナー」であることが強調されていたけれど、「2」では別の道を歩む対照的な人間であることが強調されている。

その理由はシンプルで、エルサを女王の座から解放するための選択肢は2つしかないからだ。

アナが継ぐか、王国であることをやめて民主化するか。

ポリティカリーコレクトで考えれば民主化すれば済むんだけど、ディズニーはそれをしない(理由は後ほど)。

 

「2」において、エルサは前作以上にパワーで全てを解決しようとする。旧来の役割分担で言えば、かなり男性的な行動原理だ。これも、2人の違いを強調するための仕掛けになっている。

火の精霊に躊躇なく氷ビームをぶっ放し、協力ではなく独力での解決を望み、ガニ股で氷を滑り、荒れ狂う海を力づくで走り、水の精霊(馬型)を凍らせて従わせようとする。項羽か。

 

そうやってエルサが革新的で解放的で自己決定的な存在になっていくほど、姉が手放した従来型の価値観をアナが吸収する必要が出てくる。

つまり、男性と結婚し、王国の世継ぎになる子供を生んで、魔法を使わず堅実に生きるという人生モデルを、アナが一手に引き受けることになっている。

 

もちろん、全ての人に「エルサのように自由に生きろ」ということは、一周まわってまったく自由じゃない。今と違う形の規範と抑圧が生まれるだけだ。

だからディズニーは複数の生き方を肯定しようとした。森で生きる革新的な姉と、国を守る保守的な妹を、どちらも肯定しようとした。

 

……のだけど、それがうまくいってる感じがどうにもしない。

もちろん、アナは性格・能力的に女王の役割に抵抗がなくて、人のケアもできて勇気を持って地道な次の1歩を選び続けられる人だから自己決定で女王になって万事OKと言えなくもない。

だけどそれって一歩間違えば「姉妹のどちらかに家を継がせる、姉が拒否したら妹に」というイエ制度と紙一重でしょう。

 

それもこれも原因は、ディズニーが王国という「王様が統治する体制」をロマンティックな舞台設定として維持しているからだ。

過去に女性像や有色人種像を大きく切り替えたように、王政という舞台設定を使うのをやめて民主化を目指す新たな自己破壊に向かうかどうかは今後気になるところだけど、ライオンキングから白雪姫まで、ディズニーは王様が登場する作品が多いのでこの判断のハードルは凄まじく高い。

ちなみにディズニーランドのキャッチコピーは「夢と魔法の王国」だ。王国。

 

ということで「2」は「1」が積み残した宿題には応えたけれど、さらに課題を残した形で終わった。

ただ総じて言えば、アナと雪の女王2はいい感じだったと思う。「1」の宿題に応えてくれたのが本当に嬉しかった。やっぱりエルサに女王さまは似合わないよ。

個人的には「1」の方が衝撃が大きかったけどそれは「1」が凄すぎただけで、フェミニズム的な理想は健在だし、女性をエンパワーするという最近のディズニーのミッションに忠実な作りになっている。

アナが保守的とは言っても、自己主張はあるし行動力も旺盛で意志も固い。怒りの感情もまっすぐ表明する。旧来のディズニープリンセスとは全く違う女性像だ。for girlsの映画として好感できる。

ディズニー文化圏が持つ「王政」をどうするかは次の宿題として残ったけど、明らかに視線はその問題を捉えているので何かしらの回答が出てきそうな楽しみもできた。



追記:

for girlsであることを優先した代償としてクリストフがかなり頭の悪い子になっていて、正直に言えばちょっとやりすぎかなぁと思った。

彼はずっとプロポーズの成否ばかり気にしていて、テーマ曲は80~90年代風の古いテイスト(バックストリート・ボーイズ? QUEEN?)、輝くのは「どうすればいい?」とアナに指示を仰いで行動する場面だけ。

アナ雪がfor girlsであるのは確かだけど、ここまでやる必要があったのかは判断がつかない。彼が男らしく振る舞おうとするマッチョな価値観の持ち主ならそれをくじかれる描写があっても納得だけど、そういうタイプでもない。

しかも結局プロポーズは男性からさせている。そこは守るのか。ここまでやるなら、2人のプロポーズの声が揃うとか、さんざん準備してたのにアナが先に言っちゃうぐらいのベタさでもよかった気がする。