葱と鴨。

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『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』が傑作だった

家にいる時間が長くなったのをきっかけにディズニーデラックスに登録してマーベルシネマティックユニバース、通称MCUを最初から観ている。

アイアンマンでヒーロー像のアップデートに驚き、アベンジャーズで先進性にふるえ、そしてシビル・ウォーでスコセッシとコッポラの完敗を悟った。

 

この文章の想定読者は、MCUをシビル・ウォーまで観た人。

エンドゲームまで観た人にとって意味のある文章かどうかは正直わからない。それは1つは単純に観てないからで、もう1つはそのぐらいMCUっていうのは1作ごとにテーマと思想性が前進してるから。

アベンジャーズアイアンマン3、シビル・ウォーの展開は完全に想像を超えてきた。だからエンドゲーム完走者には「ほお君はいまその段階にいるわけだね」とニヤニヤしながら見てもらえたら嬉しい。



まず私はMCUを、トニー・スターク=アイアンマンとスティーブ・ロジャースキャプテン・アメリカの思想対立の話だと思っている。

進歩主義vs.保守主義、科学への信頼vs.科学への警戒、自由主義vs.民主主義、グローバリズムvs.ナショナリズム、……。トニーは民主党的であり、キャプテンは共和党的、と言っても大きくは外していないだろう。あらゆる価値観が2人の間で衝突する。

 

そしてMCUにはほぼすべての作品に「問題を解決するのは科学だ」という通奏低音が流れている。アイアンマン、ハルク、アントマンはまんま主人公が理系の技術者だし、他の作品にも科学者が重要なポジションで登場する。ヤンキー気質のマイティ・ソーでさえヒロインは宇宙学者だ。

なので、MCU全体としての主人公ポジションは、キャプテンというよりトニーである。世界は進歩する、21世紀の魔法の杖はサイエンスだ。

その世界で、古き佳きアメリカの象徴たるキャプテンの立ち位置は難しい。アベンジャーズ1でも状況を打開したのはトニーとバナーの自称マッドサイエンティスト2人組の科学への無限の欲望で、キャプテンの倫理観は善良だが旧弊に映る。

 

というのがシビル・ウォーまでの2人の位置関係だ。

シビル・ウォーは、アベンジャーズが世界中で自由に活動することに国際社会が難色を示すところから物語が始まる。

そして「国連の指揮下に入れ」という協定をトニーが受け入れキャプテンが拒否した時は声が出た。そんな逆転があるのか、と思った後に深く納得した。解説しよう。

 

シビル・ウォーの前まで、むしろ個人主義者に見えるのはトニーの方だ。キャプテンは出自が兵士ということもあり、組織の結束を重視する。アベンジャーズ1でも「小異を捨てて大同につけ」とトニーを説得して、「ポリシーに反する」とつっぱねられている。

しかし国連との関係では、アベンジャーズ内の結束をあれほど主張したキャプテンが提携を拒む。これはものすごくアメリカ的だ。しかも第2次世界大戦前の、キャプテンが生きていた時代のアメリカだ。

世界史に出てきたモンロー主義という言葉を覚えている人もいるかもしれないが、アメリカ外交は第2次大戦が終わるまで、孤立外交が基本だった。これは個人も同じで、国家は孤立外交、個人は銃と車で自衛して自己完結し、自分に関わる決定について一切誰の指図も受けないという自決精神がアメリカの骨法だ。それをキャプテンは体現している。第2次大戦のスーパーソルジャーであると同時に、1922年マンハッタン生まれで23年間その時代を生きた青年でもあることがキャラに染み込んでいるのだ。なんて重層的な人物造形だろう。ほとんどイーストウッドだ。

そしてアベンジャーズ1まで、キャプテンはアベンジャーズを家族にしようとしている。シビル・ウォーの冒頭でもまだその希望を持っている。しかしカーターを失って完全に孤独になった後に、アベンジャーズの結束と幼馴染のバッキーという二択を迫られ、彼の個人主義は幼馴染を優先するのだ。そこに論理はない。ビジョンもない。「俺はそうする」というだけだ。

 

シビル・ウォーの最後でキャプテンは「僕が信じているのは一人一人の個人だ(My faith is in people, I guess, indivisuals)」と言う。フェアネスや組織ではなく、1対1関係、自分の感覚を信じている。それしか信じていない。

ここで、MCUにおけるトニーとキャプテンの立ち位置が転倒する。個人主義に見えたスタークが巨大なルールを志向するグローバリストで、集団主義に見えたキャプテンは自己の信念だけを貫く孤立主義者であることが明らかになる。

 

別の言い方をすると、トニーは世界の人々のフェアネスを重視するグローバルエリートだ。の彼精神の同心円は自分<親しい人々<世界である。アメリカという国家への忠誠心は薄いが、世界を覆うフェアで巨大なルールを作ることの価値は疑わない。進歩主義だ。

しかしキャプテンの同心円は自分<親しい人々<<<アメリカ<<<世界である。

世界の都合よりはアメリカの都合を優先するが、アメリカの都合よりも圧倒的に自分の都合だ。そこに論理はない。親密度に基づく決断しかない。ある意味無敵だ。

それでもこの2人を、人間としての信頼感が繋いでいる。正義でもフェアネスでも価値観の一致でもなく、「あなただから信じる」という身勝手な理由だけが2人をつないでいる。そしてそれはキャプテンの土俵だ。

この瞬間、トニーとキャプテンの力関係もひっくり返る。キャプテンを説得する方法はなく、トニーを助けに現れるかどうかもキャプテンの方に決定権が移っているのだ。次作で2人の関係性がどう更新されるのか、どんな舞台設定がそれを導くのか気になって仕方がない。

 

シビル・ウォーが公開されたのは2016年5月6日、ドナルド・トランプが大統領選への立候補を表明する1カ月前だ。民主党共和党に引き裂かれるアメリカを目の前にして、双方の陣営の精神性を描き、アメリカが没落するとしたら外敵にやられる時ではなく内戦=シビル・ウォーによって崩壊した時だと警告する。(映画のパッケージでは、キャプテンが青く、トニーが赤く描かれている。青は民主党、赤は共和党の色なので反転が起こっている。そして青と赤が揃ってこそアメリカなのだ)

これはアメリカに友愛をもたらそうとしたディズニーの闘争だ。お気楽なだけのヒーロー映画ではない。

ほとんどが民主党支持者のハリウッドで、リベラルを奉じるディズニーが、ここまでフェアにトニーの弱点を描き、キャプテンを魅力的に描く映画を作ったことも感動的だ。紛れもない傑作だと思う。