葱と鴨。

文化系、ゲーム、映画、ジェンダー。

ゲームが目的から手段に変わる時代に

ゲームってどういうものだっけ、という話が最近よく話題になる。

だいたいどれも、元を辿れば1つの「変化」にたどり着くと思うので、その話をしてみたい。

 

結論から言ってしまうと、色んな問題のきっかけになっている変化は「ゲームが目的から、手段になりつつある」ということだ。

 

ふわっとした言葉なので、まず言葉の使い方を決めておこう。

 

目的としてのゲーム=ゲームをプレーすることそのものが目的

手段としてのゲーム=お金や人気を得るためにゲームを手段として使う

 

 この2つを前提に、考えをスタートしよう。

 

ゲームが目的でしかありえなかった時代

ほんの10年くらい前まで、ゲームは目的でしかありえなかった。

どれだけゲームが上手くても仕事にはならないと思われていたし、クラスやゲームセンターのスターになれる要素は多少あったにせよ、ゲームをするのは「それが楽しいから」というのがほぼ唯一の動機だった。

なのでこの時期に始まったイベントは、ほぼ全てがコミュニティのボランティアで運営されていて、「ゲーマーファースト」なんて言葉が入る余地がないぐらい、全てがゲーマーのためなのは当たり前だった。というより、他に気を使う相手がいなかった。

この時期から知名度があったウメハラさんやときどさんたちの世代が今も人気がある理由の1つには、彼らが「自分たちと同じように、ゲームを好きで好きで仕方ない人」に見えたという要素があると思う。

それが仕事になるとかモテるとか、そういう目に見えるご褒美があるわけでもないのに人生の膨大な時間をつぎ込んでゲームに熱中してしまう、そういう業(ごう)を共有する仲間感、連帯感があったのだ。

 

ゲームが手段「としても」使えるようになったことの副作用

しかしこの状況は徐々に変化してきた。

eスポーツという言葉が広まり、動画や生放送の配信者の中からスターが出始めると、ゲームは手段としても使えるようになった。つまり、ゲームを使ってお金や人気を得ることができるようになった。

基本的に、それはとてもいいことだ。ゲームをプレーしたり、配信したり、取材することが仕事になるなんて最高だ。これは皮肉ではなくて、本当にそう思う。

ただここから、話はちょっと複雑になる。

ゲームが手段「としても」使えるようになっただけなら、一見それはゲームの可能性や選択肢が単純に増えただけで、何も失われてはいないように見える。

ゲームを手段として使う人がいるからといって、ゲームを目的としてプレーすることが邪魔されるわけではないし、ゲームをプレーする人がすぐに減るわけでもない。

eスポーツも配信も嫌なら関わらなければいいのだから、影響はないという主張は一見、正しい。

 

でも実際には、ゲームを手段として使う人の出現によって、失われたものが確実にある。

失われたのは、「ゲームの周りにいる人は全員、自分たちと同じようにゲームを好きで好きで仕方ない人である」という信頼感だ。

誰かを見た時に、「この人はゲームが好きな人なのか、それともゲームを使って何か別のものを手に入れたい人なのか」という疑問が生まれるようになった。

これは、ゲームを手段として使うことの直接的な副作用だ。

 

ゲームが手段になるのは基本的にいいことだ。でも

そういう私も、eスポーツの周りで仕事をすることがある。つまり、ゲームを手段として使うことがある側の人間だ。

自分の立場を正当化するつもりはないけれど、ゲームが手段と使えるようになったこと自体は、基本的にいいことだと思っている。

ゲームをするのが仕事になる、ゲームをするのを人が見てくれて承認される。繰り返しになるけれど、どちらも最高だ。ゲームを取材してゲームのことだけ考えて生活できたら、それだって最高だ。多くのゲーマーが夢見ていたことだと言ってもいい。

現実問題として、手段として使えるものを「使うな」というのも無理な話で、この流れ自体は避けられない。誰だってお金も承認も欲しいのだ。

 

ただ、ゲームを手段として使う立場を運よく与えられた人は、隅っこにいる私を含めて、その立場の危うさも認識する必要があると思う。

eスポーツもゲーム配信も、ゲーマーコミュニティの「この辺りにいる人は全員、ゲームが好きで好きで仕方ない人だよね」っていう信頼感を前提にして、その信頼感に甘えて成立している部分がある。

でもゲームを雑に手段として扱っていると、その信頼感という資産を食いつぶしてしまう。

今はまだ「ゲームが好きな人」の延長に見えていても、これから産業として大きくなればなるほど、そこに参入する人が「お金や承認のためにゲームを利用する人」に見えるリスクは上がっていく。

「みんなゲーム好きだから分かってくれるよね」とアマチュア大会の運営者が言うのと、それを仕事にしてる人が言うのはやっぱり意味が違う。

 

ゲームを手段として使うということは、ゲーマーコミュニティの信頼感に依存しながら、一方でその信頼感の土台だった「アマチュア感」に手を突っ込む行為だ。

プロ化も産業化も最高だし、もう止まらない。でも自分たちが何をしているかについては意識的な方がいいし、謙虚でいる必要があると思う。自戒を込めて。