葱と鴨。

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「嫌いなことは何個もあるのに、情熱を持ってやりたいことは特にない」そんな現代人のための切ない物語 「EO」

中学生のようなことを聞くんですが「本当にやりたいこと」ってありますか?

ある、と自信を持って断言できる人は続きを読まないでたぶん大丈夫です。頑張ってください、応援してます。

でも正直、8割ぐらいの人は答えに詰まるとおもうんですよね。

まぁまぁ楽しいとか、惰性で無理なく続いてる趣味とか、生活のために仕方なくとか、そういう感じでやってること・できることは結構あっても、本当に情熱的にやりたいことって聞かれたら困りませんか。

 

「EO」は、そういうタイプの人に突き刺さる映画だと思います。泣けて仕方なかった私も、そっちのタイプです。

 

ざらっとあらすじを追うと、

サーカスで団員の若い女の子に可愛がられてそれなりに幸せにやっていた主人公のロバ。いろいろあって売られてしまい、牧場に収容されるんだけど逃げ出して、森の中を放浪して、街にたどり着いたと思ったらサッカークラブのファンに歓待されて、かと思うったらライバルチームのファンに殴られて、怪我して保健所に送られて、そこからも逃げ出して金持ちの放蕩息子みたいなのに連れ回されて、最後はブタの群れに紛れ込んで…

というもの。

 

一言でいえば「ロバが放浪する映画」。

もう少しちゃんと説明すれば「主人公のロバの目を通して、いろいろな種類の人間とか犬とか馬とかオオカミを見る映画」でしょうか。タイトルの「EO」はロバの名前です。

 

「EO」がやりたいことがない人に刺さる理由は、まさにこのロバが、人間にも他の動物にもなれない哀しさを抱えているからです。

 

「EO」に出てくる動物たちは、本能≒先天的な動機に突き動かされて生きています。

馬は鼻息荒く噛み付いたり走り回る。オオカミは獲物を狙う。犬はロバに吠えかかる。フクロウは木の上で鋭い目をしている。

馬の呼吸音は生命力に満ちているのに、ロバの呼吸音は単調で静かで何を考えているかわからない。目や動きの対照的な撮り方を見ても、他の動物が持っている本能による動機づけを欠いた存在としてロバは描かれています。

 

一方で人間たちは、慣習や文化≒後天的な動機に振り回されて生きています。

地元サッカーチームが勝った負けたで大騒ぎ。動物愛護という正義に酔ってデモ。スーツを着て牧場ビジネスでご挨拶。はたまた道ならぬ年の差近親恋愛に身を焦がす。

人間が持つそれらの動機をロバはもちろん持っていません。だってロバですから。

 

中には訓練されて後天的な動機で走っているように見える競走馬なんかも登場して実際はもう少し複雑ですが、何にせよみんな何かしら動機を持って生きています。

そんな中でロバだけが、やりたいこと≒内発的な動機をほとんど持たずに生きているように見える。これがあまりに切ない。

自分に危害を加えそうな人に蹴りを入れたり、うるさい音を立てて騒ぐスポーツバーから逃げ出したり、「やりたくないこと」「嫌いなもの」はいくつか出てきます。でもロバが自分の意志でやりたいことが全然見えない。

唯一あるのはサーカスで可愛がってくれた女の子を慕う気持ちですが、女の子の生活はもう恋愛>ロバになっていて、ロバを助けてくれたり牧場から盗み出してくれたりは全然しません。彼氏のバイクの後ろに乗って走り去っていくだけ。その後はロバの一方的な片思いです。

つまりロバが持っている唯一の「好きなもの」は、もう決して取り戻せない過去へのノスタルジーだけ。ロバがやりたいことはこの世界に実質的に1つも存在しないんです。

 

この出口のない迷路感。でも私にはこのロバの動機の不在がぜんぜん他人事だと思えず、なんともやるせない気持ちになりました。長年抑え込んできた本能はもう思い出せず、社会適応のために頑張ることにも疲れてしまったら、一体どんな動機が残るというんでしょう。

 

黒目がちで何を考えているかわからないロバの目がだんだん好きになる

 

私が「EO」を見た映画館には新聞や映画誌に載ったコメントが張り出されていて、その大半が「ロバの目を通して見える人間の愚かさ」というテンションで書かれていたんですが、「EO」がそういう映画なのか正直けっこう疑問です。

ロバの目から見て、サッカーの試合や正義のデモで吹き上がる人間たちは確かに愚かに見えます。でもそれ以上にロバの「何もなさ」の方がずっと切なく見えてしまう。

 

というか「人間の愚かさ」系の映画って大体「いい結果につながらないことは薄々わかっていてもその選択肢しか選べなかったんだよね、人間って愚かだよね、わかる…」的な作りになっていて、愚かさを自分ごととして受け止めるわけですが、「EO」に登場する人間たちはあんまり感情移入先としては描かれていないように見えます。

むしろほとんどの観客はロバの側に共感しながら見ることになるはずで、人間はむしろ理解不能な他者として登場します。その人間たちを「あいつらバカだよね」的に遠くから見るのはやっぱりちょっと違う気がする。人間の愚かさを認めるなら、自分ごととして受け止めてこそでしょう。

それよりも本筋は圧倒的にロバの切なさだと思います。人間が愚かだとしても、じゃあこのロバが賢いかというと全然そうではなく、むしろ不幸にさらに近い位置にいて、しかも自分の生き方を変えることができない。でも人間だってほとんどの人はそうやって生きてる…というよりもそういう風にしか生きられずにいるんじゃないでしょうか。

ちょっと優しくされた人にふらふら付いてっちゃって、合理的な選択ができず、でも嫌いなものだけは一丁前に反発してしまう。そういう愚かで哀しい存在としてのロバ≒私たち。

「EO」が泣けるのは、ロバを愚かな存在として描きつつも、全体に「(難しいかもしれないけれど)どうにか幸せになってほしい」という祈りのようなものが込められているからでしょう。その諦念混じりの祈りに私は結構やられてしまいました。

新宿シネマカリテでまだやってます。ルフィや炭治郎のようには生きられないと感じる全ての人にオススメです。