葱と鴨。

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ソーがMCUの主人公である理由~なぜダメ男だけが生き残ったのか~

MCUの主人公はアイアンマンでもキャプテン・アメリカでもなく、個人的には断トツでソーである。

世間的にはおそらくアイアンマン主人公説が最大派閥で、次がアイアンマンとキャプテン2人主人公説あたりだと思うが、ソーこそが主人公だと考えるのには理由がある。

ソーは脳筋で、メンタル弱くて、精神年齢低くて、負けたら拗ねる、コーラ飲んで太っちゃう、スーパーヒーローというよりは普通のダメ人間だ。

でもそんなダメ男・ソーはなぜかアイアンマンやキャプテンと一緒にビッグ3扱いされ、しかも3人の中で1人だけエンドゲームを生き残った。なぜソーがそれほど特別扱いされるのか。それはソーが特別な役割を任された主人公だからだ。

 

ソーが主人公である理由を理解してもらうために、まず「アベンジャーズアメリカ」説を紹介する。

この説は文字通り、アベンジャーズという組織がアメリカという国の比喩だと考える。

最もハッキリした根拠は、アベンジャーズが2陣営に分かれて戦う場面を描いたキャプテン・アメリカの第3作にシビルウォーというタイトルがついていること。シビルウォー奴隷制などを巡ってアメリカが2つに分かれて戦った1861年南北戦争のことで、つまりはアベンジャーズの内紛をアメリカ最大の内戦に直接的になぞらえている。

ちなみにシビルウォーのポスターは赤と青と星、星条旗モチーフである。

シビルウォーのポスター

 

そのアベンジャーズアメリカの中で、アイアンマンとキャプテンは国を二分する巨大勢力をざっくり象徴している。アイアンマンが民主党≒北部≒進歩主義個人主義リベラル派を代表し、キャプテンアメリカ共和党≒南部≒古き良きアメリカ・国家主義保守派を代表している。

 

その2人の価値観がすれ違い、交差し、混ざり合っていくダイナミズムがMCU全体の大きな流れを駆動するエンジンになっていた。エンドゲームまでの物語を動かしていたのは明らかにこの2人だ。

 

その2人の間で、ソーはいつもフラフラしている。アベンジャーズではキャプテン寄り、ウルトロンではアイアンマン寄りの立場を取る。実はこれは珍しいことで、MCUはファルコン&キャプテン、スパイダーマン&アイアンマンのように継続的な関係性が多く、ソーのフラフラぶりは際立っている。

その理由は、ソーが託されているのが「普通のアメリカ人」というポジションだからだろう。庶民の感覚を持ち、どの勢力に属するわけでもなく、頭も良くないしメンタルは弱いけど、家族や友人を誰よりも大事にする善良なやつ。そういう反実理想としての「普通のアメリカ人」がソーには託されている。神様なのに。

 

ソーが「アベンジャーズアメリカのど真ん中」を託されていることは、シビルウォーに登場していない事実からもわかる。2つの価値観が正面衝突するシビルウォーに「ど真ん中の人」の居場所はないのだ。そして「ど真ん中」とはつまり主人公の席である。

 

2つの価値観を体現して物語を駆動してきたアイアンマンとキャプテンがエンドゲームで退場したとき、ソーには「普通のアメリカ人」として、2人が守ったこの世界でどう生きるかという宿題が課されたのだと思う。少なくとも私が「ラブ&サンダー」に期待していたのはその宿題に対する回答だった。

ソー:ラブ&サンダー

 

しかし実際の「ラブ&サンダー」は元カノ問題に決着をつけるフェーズだった。それもまぁ大事な問題なんだろうし、疑似的に父親になる展開は安易だが効果的でもあったとは思う。

 

ただエンドゲーム後初のソー登場映画で、アイアンマンとキャプテンの喪失感がほとんど感じられないのは正直寂しかった。ソーにはぜひ2つの価値観が対消滅した後の最大公約数を体現するという大きな仕事に挑戦してほしい。できれば疑似家族とは別の形で。シビルウォーやエンドゲームを監督したルッツ兄弟のMCU復帰が待ち遠しい。

 

追記:「普通のアメリカ人」という空想的な中立ポジションを、北欧神話由来のソーに託したのはMCUの発明だと思う。

おそらくあれは10~12世紀頃にアメリカに渡ってきたヴァイキングたちを、彼らもまたアメリカ先住民である(コロンブス以前という意味で)という形でチョイスしたのだろう。ヴィンランド・サガの世界だ。

ユーラシア大陸からシベリア・アラスカを経てアメリカ大陸に渡ったいわゆるネイティブ・アメリカンはインディアン戦争の歴史が強く刻まれていて、それより政治的な意味合いが弱い“使いやすい”属性として北欧民族が浮上したのだろう。