葱と鴨。

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性差別を内包した文化の今後~女子校、相撲、男女別で競う100m走~

お茶の水女子大の「性自認が女性のトランスジェンダー学生は、戸籍上男性でも受け入れる」という発表について、前に相撲からスタートした思考実験を置いておく。

 

・たとえば相撲のような、根本に性差別を含む文化は今後も許容されるか

→許容される。

宝塚や歌舞伎のように、性差別を前提にした文化は山ほどある。何らかの限度はあるとしても、その世界に進むことや観客として足を運ぶことが個人の選択であるかぎり、1つの文化として存在しうる。

 

・性差別を含む文化を、補助金などの形で公に支持できるか

→本来的には難しい気がするけど、現実にはこれも数多く存在する。

現行の天皇制だと女性は天皇になる資格がないし、性差別を内包した文化を国家が支持することは普通に行われている。相撲協会公益法人だし、歌舞伎とかも補助金あるし。

ただ個人的には、義務教育課程で相撲や歌舞伎を扱うのは疑問。

原則は「性差別はいけません」で、「場合によってOK」というのはあくまでも例外だとすれば、それを納得的な形で説明できないならやめた方がいい。「昔から続いている伝統」ではさすがに足りなさそう。

 

・では、男子校・女子校はどうだろうか

→すくなくとも義務教育課程では相当怪しいのでは。

性別を男女の2つしか想定していないのが問題だし、「同性愛者お断り」が明らかにまずいとすれば、「男性お断り」「女性お断り」がOKなのはどうやって説明されるんだろう。

女子校には、女性に学ぶ機会が保障されていなかった時代の緊急避難として価値があった。その価値は今も残っている(理系やリーダーシップ問題)けど、あくまでも過渡期的な存在な気がする。

基本的な考え方は私立や高校大学でも同じでは。さすがに先行研究がありそう。知りたい。

 

・オリンピックの「男子100m」とかってあれどうよ。

→個人的には時代遅れになりつつあると思う。

たとえば100m走でファイナリストが黒人ばかりだからといって、「黒人100m」と「白人100m」を作るのはダメでしょと多くの人が思うはず。では男性と女性はなぜOKなのか。

性別は2つじゃないし、線引きが常に論争的になってしまう。いっそ「人類100m」でいいんじゃないだろうか。人間の範囲をどう確定するか、という古くて新しい問題はあるにせよ。

もちろん、「女子プロレス」のようなショービジネスが存在するのは宝塚や歌舞伎と同じでアリ。ただオリンピックが単なるショービジネスではないと自任するならば、「人類100m」の方が納得感があると思う。