ダンジョンメーカーに3日で30時間もってかれて考えたこと
ダンジョンメーカー、本当に危険です。
金曜の夕方に落として、いま月曜夕方時点ですでに30時間ぐらいやってる。
仕事は? とか聞かれても口ごもるレベル。これを書くためになんとかスマホから手を放しました。
こんな風に時間を忘れるのは本当に久しぶりで、このゲームがどうしてこんなに止められないか考えました。
・挑戦→報酬サイクルが短い(1サイクル約1分)
・選択の回数は多いけど、3択だから悩むタイミングが少ない
・メインメニューではできることが限られていて、次へ行くしかない
・理想形やセオリーはあるけどモンスターも罠も入手がランダムなので、毎回の選択にアドリブ感があって、作業感がない
アドリブ感の時代
この「アドリブ感」という言葉は自分で勝手に言ってるだけなんだけど、メチャクチャ重要なワードだと思ってます。
大袈裟に言えば「むこう10年、流行るものはアドリブ感がマスト」ぐらいの感じで大事、だと思う。
どういうことかと言うと、
「練習した成果をそのまま出す」タイプのコンテンツは流行りづらいんじゃないか、ということです。
「練習した成果をそのまま出す」の反対は、「その場の瞬発力で対応する」です。
実例で考えるとわかりやすそう。たとえば、
音楽なら
クラシック→ロック・ポップス→ヒップホップ
お笑いなら
アートなら
絵画・彫刻→音楽・ダンス→体感型・演劇型
スポーツなら
陸上・採点競技→野球・アメフト→サッカー・バスケ
動画なら
テレビ→YouTube→生配信
右へ行けば行くほど「瞬間のひらめき」が大切に見えますよね。そしてどれも、右の方が現代的に見えません?
一見ひらめきに見えて、実は繰り返しの訓練で身に着けた型を応用してる場合も多いけど、その場で判断することが比較的多そうに見えるタイプです。
さらに文脈を1つ追加します。ここ10年ぐらいの日本では、練習と努力で身に着けた能力よりも、その人が生まれつき持っていたように見える能力(≒センス・才能)が評価されるようになってきました。
この文化ジャンルの流行の変化と、能力評価の流行の変化は、たぶんリンクしてます。共通するのは、努力と練習で身に付けたものよりも、 とっさで本質的で地頭的なものの方が価値が高い、という発想です。
そしてようやくゲームの話に戻ってくると、ゲームもアドリブ感がある方が流行るし、観戦対象としても人気がでやすい、と思ってます。
たとえばバトルロワイヤル系FPSが流行ったのも「運ゲーに見える」という理由が結構大きいし(だからプロシーンの人が「あれは運ゲーじゃない」って主張するのは、気持ちはわかるけど自分の首を絞めてると思う)、
そういう意味でダンジョンメーカーは、実際は知識とセオリーが超重要だとしても、その都度の選択にアドリブ感を偽装した設計として、最高によくできます。