葱と鴨。

文化系、ゲーム、映画、ジェンダー。

BLへの期待を手放すまで

 BLが趣味の1つだった時期、というのがある。

 乙女ロードで時に怪訝な表情をされ、時には露骨に煙たがられながら漫画を探していたのも今となってはいい思い出だ。

 私がBLを好きになっていった理由は「男らしさ、女らしさが息苦しかったから」だ。たぶん、割とメジャーな理由だと思う。

 一応百合も似たような文脈で気にはなっていたけれど、女性を性的な記号として扱うのは直球で男性社会の振舞いだよなぁと思ったのか、BLほどは過剰な意味付けをしなかった気がする。

 

 BLは基本的に男性×男性の世界なので、必然的に「優しさ」「強引」「受け身」「繊細」とかそういう性質を全て男性同士で割り振ることになる。そして、その全てが基本的には肯定される。

 つまり「男らしくない男」が肯定される世界に見えたのだ。「男らしさ」を押し付けられることが苦しかった人間には、この世界は楽園に見えた。

 

 でも、今の私は以前ほどBLに期待していない。

 理由はこれまた簡単で、BLの世界も男らしさ、女らしさから全く自由ではなかったからだ。

 もちろん例外は多くあるけれど、基本的には既存の「男らしさ」「女らしさ」を配分、あてはめるケースが多いことに、すぐに気がついてしまった。

 

 そうすると、これはキツイ。

 

 見たまんま男尊女卑のオジサンに対応することは、一通りできるようになった。遭遇機会も多いし、相手が使っているコードもわかりやすいから。同調しすぎず、かと言って相手を不快にもしない程度の対応、というのは働くようになって割とすぐ身に着いた。最初からガードを上げておけばいいのなら、それはそれで簡単だ。

 

 ただBLについては、その人や作品が既存の男らしさ・女らしさを解体したい側なのか、むしろその体制が維持されないと萌えを発声させられなくて困る側なのか、を最初に見極めないといけない分疲れる。しかもほとんど場合、驚くほどその男女観はレトロで保守的だった。

 

 だから自然と、BLを手に取る機会は減っていった。

 

 この推移から「女の敵は女だ」なんて結論を導くのはさすがに安直すぎる。いつだって男女観に縛られたくないと思う人の敵は、それが男であれ女であれ、男女観で人を縛りたい人でしかないのだから。

 

 また別の場所で、男性同性愛者の世界では、「男役」「女役」がそれぞれのらしさをとても忠実に演じようとするという話も聞いたことがある。既存の男らしさ、女らしさの重力は、そこから離れた人間にとってこそ強く働く、という意味では似た話なんだと思う。