葱と鴨。

文化系、ゲーム、映画、ジェンダー。https://twitter.com/cho_tsugai

Twitchがゲーマー文化をすっかり塗りかえてしまう前に

100人のゲーマーがいるとする。

(1) 1人がゲームをプレーし、99人がその配信を見ている。

(2) 100人がゲームをプレーし、中には配信している人もいるが、視聴者は0人。

2つの状況のうち、「ゲーマー文化」にとって望ましいのはどっちだろうか。

 

ゲーマー文化が、ゲーマー=つまりゲームをプレーする人を中心とした文化だと考えると、基本的にはプレーヤーが多くいることこそが何よりも大切な要素なのだと思う。

でも実はTwitchをはじめとするゲーム配信サービスにとっては、この二択は難しい。配信の視聴者に広告を表示することで対価を得ている以上、ビジネスモデルの必然として彼らは(1)を選ばざるを得ない。

このズレがどんな結末をもたらすか、という話をしてみたい。

 

最初に自分の立場を表明しておくと、スマホにはTwitchとOPENRECをダウンロードしていて、LoLやHSやスト5の大会配信はもちろん、他タイトルも含めて個人配信もちょいちょい見ている。自分で配信はしていない。

ヘビーユーザーっていうほどではないけど、まぁ使ってる方だと思う。

だからもちろんTwitchを敵視してるわけじゃなくて、むしろ好きだし、なんなら最強のサービスだと思っている。

Twitchは確実にゲーマー文化を次の時代へ進めたし、ゲームを視聴する文化を作った功労者なのもたしかだ。

そう、Twitchはあまりにもサービスとして強い。

でも強すぎて、そして文化を塗りかえるスピードが速すぎて、「ゲーマー文化」を成立させていた要素のいくつかを掘り崩しはじめている。

 

Twitch自身にも、この流れは止められない

たとえば、昔なら1人でも延々とゲームをプレーしていたのに、徐々に配信を視聴するだけで満足するようになってプレー時間が減った人は多いだろう。

そこまでいかなくても、配信の上級者や人気者と自分を比べて劣等感を感じたり、自分でゲームをプレーするモチベーションが落ちた経験をした人はかなりの数いるはずだ。

配信をする人の視線で考えると、次にプレーするゲームを選ぶ時に、配信で視聴者が増えやすい、つまりインスタ映えならぬ「Twitch映え」しやすいゲームを選んだ人は結構いるはずだ。

あとは、ゲームをプレーすること自体が楽しいのか、それを人に見てもらって承認欲求が満たされることが嬉しいのかの区別が難しくなった人も絶対にいると思う。それが進めば、「配信外でゲームするのは無駄」と感じる人すらいるかもしれない。配信でお金まで手に入っちゃったらなおさらだ。

 

ただ、この流れを止めるのは不可能だと思う。

ゲーマーの欲求と視聴者の欲求を結びつける形ですでに配信文化は成立していて、もしTwitchが「ゲーマー文化の土台を掘り崩してしまう可能性があるので、進化のスピードを緩めましょう」と言ったとしても、YouTubeLiveやOPENRECがその横を走り抜けていくだけだからだ。

もちろん、トルネコの大冒険を4000回遊ぶ人(“1000回遊べるRPG”を4000回遊んだ男 「SFCトルネコの大冒険」に挑み続けるプレイヤーが語る「不思議のダンジョンには、まだ不思議がある」 - エキサイトニュース(1/12))はこれからも存在するだろうけれど、ほとんどのゲーマーは、多かれ少なかれこの影響を避けられない。

つまりTwitch自身にも、今の流れを止めることはできないのだ。

 

Twitchはゲーマーの味方であろうとしているけれど

それに、これまでゲーマー文化に寄り添い、共に歩こうとしてきたTwitchがゲーム配信最大手である世界の方が、YouTubeLiveが最大手になった世界よりよほどゲーマーに優しい世界だとも思う。

 私個人としては、実はTwitchがゲーマーを尊重する意志について信頼していて、彼らは本気でゲーマー文化を大切にしていると思っている。

Twitchのビジネスモデルが必要としているのが、究極的にはゲーマーではなく視聴者(広告を見る人)だとしても、それゆえにゲーム以外の食事風景やビデオチャットチャンネルを作ったとしても、(動画配信サーヴィスのTwitchは、「ゲーム専門」から「オープンな公園」へと生まれ変わった|WIRED.jp

彼らがゲーマーの数自体を増やそうとしていることもまた事実で、ゲーマーの人生を豊かにしたいと願っているのも嘘ではないだろう。たしかに、Twitchはゲーマーの味方であろうとし続けている。

 

でも残念ながら、意志と結果が同じとは限らない。Twitchという強すぎるサービスはものすごいスピードでゲーマー文化を塗りかえていて、その結末は彼ら自身を含めて誰にもまだ予測できていないのだ。

Twitchがゲーマー文化の救世主になる可能性もあるけれど、結果的に死神になってしまう可能性も余裕である。

 

大多数が「見る専」になる未来は楽しいか

もしこのゲーマー文化の進化の先にあるのが、野球やサッカーのような「少数の人がプレーするのを大多数の人が『見る専』として視聴する」形だとしたら、それはあんまり楽しくない未来だと思う。「見る専」はもちろんゲーマー文化の大切な一部だけど、真ん中にはやっぱりプレーヤーがいないと始まらない。

地位と名誉で惹きつけてプロになりたい人を集めて、プロを諦めた人から脱落していく、なんていうのはゲーマー文化とは程遠い。何歳までだって遊んでいられるのは、ゲーマー文化のいいところの1つなはずだ。

だから実はこれは、Twitchや配信文化の問題であると同時に、eスポーツの問題でもあったりする。

 

じゃあ配信文化によるゲーマー文化の塗りかえが加速する中で、何かできることはあるだろうか。

ある、と思う。

C4をはじめとするLANパーティーは「ゲームしよう」というメッセージを全力で発信しているし、そんな大規模じゃなくても、ゲーマー文化の中で守る価値がある部分を探して、Twitchがすべてをハックしきってしまう前に救出する方法を探すことだってできるかもしれない。

少なくとも、配信文化がゲーマー文化を塗り替えつつあることに多くの人が気づくだけでも結構変わりそうだ。

ゲーマー文化がすっかり塗りかえられた後に、「こんなはずじゃなかった」とゲーマーとTwitchが一緒に頭を抱えるのは、誰にとっても幸せじゃないのだから。

 

 

ここからは余談。世界で最も観客を集めるサッカークラブのCEOが、こんなことを言っている。(ドルトムントCEOが語った経営と愛。「日本人はそう思わないんですか?」 - 海外サッカー - Number Web - ナンバー

「サッカーをプレーすることはサッカーを観ることよりも素晴らしい。サッカーの素晴らしさはプレーすることにあるのです。問題は時間に限りがあることです。私はもう経験しました。いつかプレーできなくなるときが来ます。どこかをケガして。その時、自らがプレーできることの素晴らしさを知るのです。この気持ちは誰にも説明できません」

巨大ビジネスになり、観客を動員することで富を得るサッカークラブのトップが、「プレーすることは観ることよりも素晴らしい」と言うのは、考えてみれば不思議な話だ。

もちろん彼のゲームへの偏見には同意しかねるけれど、プレーと視聴の関係についての価値観は、現在のゲームを取り巻く環境にもあてはまる部分があると思う。