日本人は性と暴力の話が大好き たぶんあなたの想像よりずっと
ここに2つのランキングがある。
これは文春オンラインと現代ビジネスという日本の2大総合系ニュースサイトのランキングで、つまりこれは「日本人が好きなものランキング」だ。
眺めて気づくのは、「性」と「暴力」の話題ばかりということだ。6位以下を見てもこの傾向は変わらない。
文春オンラインで目立つのは性犯罪・ヤクザ・芸能人の恋愛・皇室。
現代ビジネスでは映画ドラマ評・近隣トラブル・教育・若者論・投資。
共通して多いのはセクシャルマイノリティと売買春。
(あとタイトルに強調のカギカッコとツメカギがとにかく多い。どちらも使ってないタイトルは50本のうち1つだけ)
日本人の関心を反映したランキングが「性」と「暴力」で埋め尽くされているというのは身も蓋もなく、そして興味深い現象だ。
それでも性の話が興味をひくのはまあわかる。恋愛話は鉄板のトークテーマだし、アイデンティティや承認の話として性が出てくるのも自然だ。下世話な方に広げても、ある種のエンタメ的に性の話が消費できるのは納得できる。
一方で私にとって謎度が高いのは「暴力」に強い興味を持つ人たちの存在である。
人気の記事をみていくと、クマに足を食べられたとか、体のどこを何で何回刺したとか、そういう場面が異様に細かく描写されているものが多い。
「暴力」に「性」を合体させた性犯罪の登場回数も多く、その描写も気持ち悪くなるほど具体的でグロテスクだ。
何を求めてこれを読むのだろうと思って反応を見ると「許せない」「人間じゃない」「怖い」「気持ち悪い」「死刑だ」としっかり不快な気持ちになっている。いやそれなら見なければよいのでは…
多くの人は暴力シーンが大好きで、目に入ったらクリックせずにはいられず、しかも見た後には不快になっている。不思議でしかたない
もちろん私も、猟奇犯罪コンテンツが好まれる回路について頭では最低限わかっている。社会学では「逸脱行為を共有することには社会の結束を高める効果があって…」と習ったし、カイジの利根川も「危険な場所にいる人を見ることで自分が安全であることの愉悦を感じる」と言っていた。
その論理でいけば、逸脱者の代表格である犯罪者に石を投げるのは快感だし、クマに食べられている人を安全な場所で見るのも快感なのだ。
というか私はもともとスプラッターが苦手で暴力描写がキツイ映画は途中でギブアップする人間なので、全く実感がわかない(評価の高い「孤狼の血」も無理だった)。
凶器の刃渡りが何センチだったとか言われても、その情報は一体どんな意味があるのだろうと思ってしまう。加害者や被害者の卒業アルバムもむしろ見たくない。家にはテレビがないのでワイドショーはそもそも見られないし、タイムラインにその手のニュースが流れてきてもクリックした記憶が全くない。
犯罪者の背景を分析して「現代において人間を追い詰めるのは何か」みたいな抽象的な論評になっているものは手に取っても、具体的な描写は関心の持ち方からわからない。
なんだけど、日本有数の取材力と企画力を持っているはずの大手メディアが何年もかかってたどりついた結論が「日本でPV稼ぐには殺人と性犯罪が最強」だったことの意味は重い。この問題を考えているとどうにも暗い気持ちになってしまい、私はまだ「できれば関わりあいにならずに生きたい」以上の感想にたどり着けずにいる。
人のアテンションを惹くことを仕事にするエンタメ界隈の人は、この問題についてどう考えているんだろうか。広告代理店やYouTuberは何を考えているんだろうか。わかって使っているのか、わかって避けているのか、バレないようにエッセンスだけ忍び込ませるのか、それとも意識していないのか。ぜひ話をしてみたい。
~余談~
2サイトに近い規模を持つ東洋経済は、もう1つの強ジャンル「お金」に特化している。
ちなみに3つのサイトのキャッチコピーはこんな感じで、
東洋経済:東洋経済オンラインはビジネス、経済情報、就職情報など、ビジネスパーソンのための情報が充実
文春オンライン:文春オンラインは世の中を驚かせるスクープから、毎日の仕事や生活に役立つ話題までお届けする情報メディア
現代ビジネス:「現代ビジネス」は、第一線で活躍するビジネスパーソン、マネジメント層に向けて、プロフェッショナルの分析に基づいた記事を届ける新創刊メディア
お金に特化した東洋経済と、下世話であることを隠さない文春オンラインに対して、現代ビジネスはキャッチコピーと内実に若干の乖離を感じる。第一線で活躍するビジネスパーソンは1948年の猟奇事件について知る必要がある! ということなら話は別だが…
「EVE Online」で文化系の顔をした革命家に会った話
今年のはじめから「EVE Online」を細々と遊んでいる。
広い宇宙を自分で隅々までカスタムした船で飛び回り、10人で通り魔したり100人で海賊したり1000人で大戦争したりするMMORPGで、「戦争の損害額が4000万円に達してギネス更新」みたいなニュースになるのも大体このゲームだ。
2020年末に日本語化されて日本人プレーヤーが一気に流入し、私もその1人だった。
しかし「EVE Online」はその壮大さと同じくらい、“初心者殺し”で有名なゲームでもある。公式のデータによれば初ログインから1週間後の生存率が10%、3カ月後の生存率はたったの2%。実際問題UIはお世辞にもフレンドリーとは言えず、チュートリアルをクリアするためだけにwikiを熟読する必要があった。
私はというとソロで2週間ほど悪戦苦闘したあと、とある日本人コーポ(クランやギルド的なもの)に入れてもらってもうすぐ3カ月になる。2003年のサービス開始から18年続くゲームの中ではくるぶしも濡れていない程度の浅瀬プレーヤーだが、ログインしているだけですでに上位2%の適性は証明したことになるらしい。
どうにか宇宙生活にも慣れてきた頃、私のコーポに1人のプレーヤーが入ってきた。私はその人のことを以前から知っていた。どこへ連れていかれるのかわからないハイエースのようなかっこいい文章を書く小説家・エッセイストで、過去に「EVE Online」をプレーしていたことも認識していた。
ただ迂闊にも、EVE宇宙の超有名人であることは知らなかった。聞けば18年の歴史の中でも1、2を争う有名な日本人プレーヤーで、数で劣る日本人を束ねて宇宙の一角を占拠し、世界中の強豪コーポを向こうに回して大戦争を繰り広げたという。「EVE Online」への帰還は数年ぶりだが、その伝説は今なお語り継がれている。
……のだけど、私の知っている文筆家の彼と、銀河系に覇を唱えて戦いに明け暮れた野心的な先導者のイメージはまったく重ならなかった。小説家としてインタビューに応える彼はどう見ても文化系で、古本のフリマにでも行けば溶けて見つけられなくなりそうな雰囲気を漂わせている。そして彼がコーポのDiscordに書き込んだ第一声は「愛」。全然1人の人間として像を結ばない。若干の胡散臭ささえ感じた。
しかしこの疑念は数日後に解決することになった。彼は確かに、文化系の顔をした革命家だった。
彼がある日の昼過ぎに「適当な船を撃ち落としにでかけよう」と声をかけると、平日にもかかわらず夜には50人のプレーヤーが集まった。私も“伝説”を体験するために彼の艦隊に参加した。
そして彼がDiscordのボイスチャットに入ってきて言葉を発した瞬間、私の中で大人しそうな文筆家とEVE宇宙に名前を残す革命家が一発で重なった。たった一言で、声の主がカリスマの類であることを脳が完全に承認したのだ。
大げさでなく「チェ・ゲバラや毛沢東や本願寺顕如やジョーダン・ベルフォートやフランク・アバグネイルも、こんな風に人を先導/煽動したのかもしれない」という連想さえした。それほど人を動かす力に満ちた声だった。革命家や宗教家や起業家や詐欺師として一流になる条件の1つは確実に声だ。そして一流であればあるほど、革命家と詐欺師の境目は曖昧になっていく。
ここで少しだけ遠回りをすると、「EVE Online」の特徴はとにかく対人戦が大規模&破滅的なことで、破滅的というのはつまり「撃ち落とされた船が消滅する」ということだ。ゲーム中最大の船であるTitanのお値段は日本円に換算して20万円ほどになる。ゲーム歴3カ月の私でさえ、持っている一番高い船を現金でもう1隻買おうとすれば7000円はくだらない。その船が、落ちたらきれいさっぱり消滅するのだ。(もちろんゲーム内で通貨を稼いで買うことも可能でほとんどの人はそうしている。無理やり現金を突っ込んで買うとこの額になる)
聞くところによるとウマ娘のガチャは1キャラを強化する天井が6万円らしいので、「EVE Online」で戦場にTitanを持ち出すのは、負けたら完凸キャラが3体消滅するチーム競技場に挑戦するのと同じリスクということになる。正気の沙汰ではない。そんなデスマッチには誰も参加しない。
しかし「EVE Online」の世界ではそんな“割に合わない戦闘”が日常的に起きて、高額船がボコボコ落ちている。今日もコーポのDiscordには、宇宙の誰かが失った5万円以上する船の撃墜レポートが貼られていた。
では、なぜプレーヤーたちは虎の子の1隻を駆って戦場へ向かうのか。その理由として「人の心を掴むのが悪魔的にうまい誰かの存在」は外せない要素だと思う。「ワルい奴にのせられた」と言い換えてもそれほど遠くない。
実際問題として敗色濃厚な戦場にプレーヤーが踏みとどまる理由なんて、人間的な引力ぐらいしか存在しないのだ。損得を超えて「この人と一緒に戦いたい」「この人に褒められたい」と人に思い込ませられる誰かがいなければ、どうしてゲームの中でまで逆風に立ち向かう必要があるだろうか。
そして件の彼の喋りには、人をそう思わせる力が満ちていた。少なくとも私はそう感じた。その引力を言語で説明できるとは思わないので、気になった人はネットの海に落ちている彼の動画を探してみてほしい。上にでてきたいくつかのキーワードを組み合わせて検索すればすぐに名前にも声にもたどり着けると思う。
――みたいな話を書きかけて放置していたら、まさかの本人が電ファミで顛末を書いていたので全部ひっくり返りました。しかも「EVE Online」公式とのタイアップだったとは。ということでそっちを見てくれたらそれで大体いいです。
彼の動画も記事中で貼ってあるのと同じものを貼っておきます。専門用語しか言ってなくて全く意味は伝わらないだろうけど、フラットに少しだけ上機嫌を足したテンションと妙に耳に入る低い声で指示を出し続ける司令官がただ者じゃないことくらいは伝わると思います。
まぁ本人にしてみればこんな風によってたかって伝説だカリスマだと持ち上げられるのは息苦しいのかもしれないけれど、過去に大きなことを成し遂げた人間が気まぐれで現れた場所に居合わせた新人として、自分が遭遇した経験とそれがおもしろかったことぐらいは書き残してもばちはあたらないと思うので置いておきます。
せっかくなので公式のPVも。
ということで興味を持ったゲーマーの方々、「EVE Online」へようこそ。
https://www.eveonline.com/ja/signup?invc=6ff08bad-80d3-41c9-8bb1-06895e907d12
(このリンクから始めると、あなたと私の両方にいいことがあります)
2017年の3 4さんインタビューを再アップします。
Burning Coreのプレイオフが本当に印象的で3 4さんっていいコーチなんだなぁと改めて思ったので、2017年にLJL公式サイトに寄稿したインタビュー原稿を再掲載します。
ちなみに当時の3 4さんはRAMPAGEというチームのコーチで、メンバーはEviさん、Tussleさん、Ramuneさん、YutoriMoyashiさん、Daraさん、Lem0nさんでした。
いまの3 4さんがどんなことを考えてコーチングしているのか、また話を聞きたくなりました。
――――――――――――――――――
『RPGを作ったのは、3 4コーチかもしれない。』
チームにはカラーがあります。
選手のキャラクターはもちろん大きな要素ですが、それと同じか、もしかするとそれ以上に大きな影響力を持つのが指導者、つまりコーチのキャラクターでしょう。
そしてLJLの中で、コーチの重要さをもっとも早い時期から意識していたのは、Rampage(以下RPG)ではないかと思います。韓国人コーチを最初に招いたのも彼らでしたし、昨年秋に3 4(スリーフォー)コーチが就任したときには、選手だけでなくコーチのトライアウトもあったそうです。
とはいえチームのコーチングは方向性も考え方もさまざま。
権力者型、カリスマ型、モチベーター型、鬼軍曹型……あとは、選手に奉仕するサーバント型なんてのもあります。
では、今のRPGのカラーはどうやってできたのか。そして34コーチはどんな方法でそれを成し遂げたのか。そんな秘密を探ってみました。
大学で勧められたコーチの道
――はじめまして。3 4コーチは競技シーンでの活動がRPGが初めてだということなのですが、最初にいままでのLoL歴を教えてください。
3 4「LoLを始めたのは高校1年生の時で、最初は遊びでやってたんですよ。韓国ではeスポーツは前から流行ってたからテレビで見てたんだけど、おれがそこに入りたいとかは最初は考えてなかったです。でも大会を見てるうちに自分でもやりたいなと思うようになって、本気で練習しはじめたらレートも上がって、プロを目指すようになりました」
――最初はやっぱり選手を目指していたんですね。
3 4「でもプロゲーマーを目指す人が多い全南科学大学に入ったら、周りがすごいうまくて(笑)。当時はMidがメインで、Daraと同じチームだった時期もあります。ライバルチームにはTussleもいましたし。でも2人はLJLへ行っちゃうし、ほかの選手もプロになったりでチームが解散して、その後も練習はしてたんですけど、レートがマスターぐらいで止まってしまったんですよね。でも大学の人が『ゲームについての知識もあるし、コーチになってみたら』って言ってくれて、コーチの勉強を始めました」
――競技シーンからの叩き上げではなくて、大学でコーチングの勉強をしてた、と。LJLを知ったのはいつ頃でした?
3 4「選手をやめてから1年半くらいコーチの勉強をしたんですが、同じ時期にDaraとTussleがRPGに入ったので、オンラインで2人の相談役をやっていたんですよ。日本に来た当時はやっぱり慣れないことが多くて困ることも多いから、そのケアをして欲しいと。だから2人を通してLJLの状況は大体全部わかってましたね」
――かなり以前からRPGとは関係があったんですね。
3 4「そうですね。それで去年RPGがコーチを探しはじめたときに、大学との契約がちょうど切れて自分もフリーの立場でした。それで『お前しかいない』ってチームに言ってもらって、Daraとかも後押ししてくれて、RPGのコーチをやってみよう、と」
仲の良さ重視は自分自身の経験から
――LJLへ来てみて、率直な感想はどうでした?
3 4「うーん正直に行って、リーグのレベルはそこまで高くないなと思いました。うまい選手もいるんだけど少し差がある選手もいて、しかもリーグの雰囲気が『強くなろう』っていう感じにそこまでなっていない、という印象でした」
――おお、結構厳しい第一印象ですね。1年たって、それは変わりましたか?
3 4「もう今シーズンは本当に変わりました。まずおれたち自身のやる気がすごかったし、DFMもおれたちに負けて本気を出したと思うんですよね。それで他のチームもそれに引っ張られてがんばり始めて、どのチームも何か起こそうと狙ってくるし、怖いチームが増えました。今日の7h戦もすごいびびってたんですよ(笑)」
――たとえばRPGだと、何が一番大きく変わったんでしょう。
3 4「一番は、選手たちがみんなチーム的に考えるようになったこと。前は『おれのレーン』『自分はこうしたい』っていう感じだったけど、今は『おれたちの~』っていう話し方が自然に出るようになったかな」
――以前Eviさんに、3 4コーチがRPGで初めにしたのは「チームの仲を良くすること」だと聞きました。「おれたち」という主語が増えたのも似た話なのかなと思うんですが、その方法って韓国では結構一般的なんですか? それとも3 4さんのオリジナル?
3 4「自分の経験が大きいですね。大学でDaraと一緒だったチームは、プレーのレベルは本当に低かったんだけど、雰囲気は本当にいいチームだったんですよ。逆にTussleのいたライバルチームは、今LCKのチームにいるような選手もいてレベルは高かったけど、選手の仲があんまりよくなかった。その2チームで試合をすると、半分ぐらいおれたちが勝ってたんですよね。それで、プレーのレベルが低くても仲がいいだけでこんなに勝てるじゃんって(笑)。だからRPGに来たときも、一番は選手同士がお互いのことをわかるのが大切だなって最初から思ってました」
Ramuneはみんなの赤ちゃん?
――RPGでその狙いはとてもうまくいっているように見えます。チームの人間関係で、キーになってる選手って3 4さんからみて誰かいますか。
3 4「みんないい感じだけど、やっぱりRamuneかな。チームで一番若いし、かわいいから他のメンバーもいじるんですよね。本人も『普通そこまでいじられたら怒るでしょ』っていう状態でも平気そうにしてるし、こいつメンタルいいなって思います。メンバー全員にとって弟というか、赤ちゃんというか、そういう感じ(笑)」
――赤ちゃん(笑)。でも確かにちょっとのことでは動じない雰囲気はあります。34さん自身はいじる側ですか? それともいじられる側?
3 4「どっちかっていうと、いじられる側かな? Tussleには『LoLができるチンパンジーだから放っておこう』とかそんな感じで言ってますけど(笑)。でもみんなにしゃべり方とかをマネされるし、基本はいじられてるかも」
――コーチってチームの中で立ち位置が難しい仕事だと思うんですけど、3 4さんにとっていいコーチの条件ってどんな感じなんでしょう。
3 4「確かに微妙な立場なんですよ。選手じゃないけどゲームはしてるし、でもゲームにハマったらだめ。選手より少し上の立場だとは思うけど、選手と遠すぎてもうまくいかないから、その距離を上手に作るのが大事だと思います」
3 4さんが考える、コーチの存在意義
――LJLにはコーチがいないチームもあります。コーチってそもそもなんで必要なんだと思います?
3 4「ゲーム内の話で言うと、選手だけでフィードバックをしても話し合いって絶対まとまらないんですよ。絶対。『おれはこう思う』『いや、こうでしょ』ってなって、それだとチームの考えがひとつにならない。そこでコーチが選手の考えを聞いて、『いまDaraはこういうことを考えてて、だからこういう言い方をしたんだよ、じゃあ一番いい方法はこれじゃない?』って示すのがおれの仕事です。1回まとまっちゃえば、あとは選手同士でも『そしたらこういう可能性もあるんじゃね』って、新しい考えが出てくるようになるから」
――上から何かを教えるというより、交通整理をしてる感じなんですね。
3 4「ゲーム以外の場面でも大体同じで、選手はゲームに集中するとどうしても会話が減るから、会話が起こるように仕向けたりします。プロ選手はプライドがあるから自分からは言いたくないこともあるけど、言った方がチームのためになることもあるし、そういうのを話せる環境にするのが一番大事」
――ああ、RPGがどうして今のようなチームになれたのか、ちょっとその秘密がわかった気がします。
3 4「正直、最初はもっとコーチって難しいのかなと思ってたんですよ。選手に何か言ったら『お前の言うこと聞きたくない』って拒否されたりするのかなって。でもオーナーも協力してくれたし、選手たちも歩み寄ってくれて、どうにかうまくいってると思います」
――3 4さんにとってRPGの選手たちはどんな存在ですか?
3 4「うーん、めんどくさいやつら、かな(笑)? 実際の兄弟は兄だけなんですけど、もし弟がいたらこんな感じなのかなっていうイメージ。めんどくさいけど、えらいし、かわいい。そんな感じ」
Dara、Tussleより1年以上後に日本へ来たはずなのに誰よりも流暢に日本語を話し、冗談と身ぶり手ぶりを交える姿は、軍曹でもサーバントでもなく、まさに長男。それに少し父親成分を加えたイメージでしょうか。
ちなみに、3 4コーチの話し方はこんな感じ(https://twitter.com/ebihuryahurya/status/882883479729455108)です。RPGが今のようなチームになった理由が、少しわかった気がしました。
スポーツっていうシステムそのものが時代とズレはじめているかもしれない。
最近、スポーツっていうシステムが時代とズレてきたんじゃないかと感じることが増えた。長らくスポーツを仕事にしてきたけれど、ここ1~2年でそのズレが急速に広がった感覚がある。
野球とかサッカーとかっていう個別の種目の話ではなくて、「自分じゃない誰かの勝敗に一喜一憂する」というスポーツの仕組み自体が時代に合わない、という感覚がどんどん強くなっている。
きっかけは「推しチームが負けるなら試合を見たくない」というツイートだった。
その人には応援してるチームがあって、そのチームが勝つのは見たいけど、負けたらマイナスで、期待値を計算するとマイナスだから見たくない、という。
コンテンツを見る前に「今日は不快にならないといいな」なんて心配するのは、アイドルやYouTuberのファンには起きない現象だ。ストリーマーはいつだって楽しく愉快で、動画を開く前に「今日は大丈夫かな」なんて心配をする人はいない。
でもスポーツはファンに緊張を強いる。「真剣勝負だから何が起こるかわからない。勝てば天国、負ければ地獄」というハードな世界観なので、ファンの半分は負けた側と一緒にうなだれる。辛い率はなんと50%だ。
映画でも漫画でもYouTubeでも、エンタメコンテンツっていうのは大抵95%以上のファンを幸せな気持ちにできるのに、スポーツだけ50%。こんなもの流行るわけがない。「損したくない」気分が高まる2020年代ならなおさらである。
この「負けたらマイナス問題」はスポーツ運営をする人の間では有名で、「負けても楽しんでもらうために」前後にショーを入れたりするんだけど、それだってよく考えたら変な話で、
嵐を見るためにオリンピックの開会式へいくのは無駄だし、テイラー・スウィフト見たさにスーパーボウルのチケットを取る必要もない。ソロコンサートへ行って2時間パフォーマンスを見る方がいいに決まってる。
つまり、スポーツイベントに楽しいショーを追加してトータルの感情収支を底上げすることは可能だけど、それならショーだけでいいのだ。わざわざ辛い率50%のスポーツをくっつける理由がなくなってしまう。
実際問題として若年層ほどスポーツ離れは進んでいて、野球もサッカーもテニスもゴルフもファンの高齢化が止まらない。スポーツの種目同士の奪い合いじゃなくて、スポーツというギミックを若年層が避けはじめている。少なくとも、20世紀と同じレベルで支持されるエンタメではなくなってきている。
もちろん若年層にだって真剣勝負というギミックを好む人はいて、eスポーツはその受け皿の筆頭なので、しばらくは成長が続くと思う。
でも多分、スポーツっていうギミックの価値はゆっくり落ちていく。ゲームにとって最大の相棒はスポーツじゃなくてアイドル≒ストリーマーでしたっていう未来は全然ありそうだ。
というより2020年の時点で、Hikakinさんや加藤純一さんより視聴数の多いeスポーツ大会は日本に存在しない。スタヌーさんやはつめさんよりフォロワーの多い競技プロゲーマーも存在しない。この差が今後縮まることはなくて、たぶん広がるんだと思う。
eスポーツの世界の端っこにいると、「ゲームの試合をプロ野球やJリーグや甲子園みたいにしよう」っていう話は本当によく聞く。確かにその話は完成形が想像しやすいし、大人受けもいい。瞬間風速もでやすい。
なにより私個人は人間離れしたトップゲーマーたちが人生をかけて競争してるのを見るのが好きなので、その人たちがゲームに専念できるくらいの収入や社会的尊敬を得られるといいなとは思っている。でも「トッププレイヤーの競技を観戦する」っていうエンタメの地盤沈下は残念ながらもう始まっている。
友達とボイスチャットつないで自分でプレーするゲームや、魅力的なパーソナリティが双方向でコミュニケーションしながら観客を楽しませるストリーミングの方がサイズとしては大きくなるだろう。「競技シーンこそが最大のコンテンツ」という野球やサッカーの姿は、テレビの時代≒20世紀限定の一時的な現象だったのだ。
だからもし、それでも競技を愛し、なんならそれを仕事にしようと思う人がいるならば、早めにどんな形が実現可能なのかを考えておいた方がいい。シリアス路線を維持して辛い率50%のドSコンテンツとして頑張るか、アイドル化・バラエティ化の道を進むか。まだ見えていないルートだってあるだろう。向こう5年だけで考えるか、10年20年の単位で考えるかでも発想は変わってくる。
そこそこ長い間スポーツの仕事をしてきた人間として、最近はそんなことを考えている。
プロとは注目と歓声を食べて生きる種族である
DFMのEviさんの「ゲーミングハウスだとLJLの試合に気持ちが入りづらい」という言葉を聞いて、LJLプレイヤーたちは本当にプロになったのだなぁとあらためて思った。
プロの定義みたいな難しい話をするつもりはなくて、要するに「LJLプレイヤーたちは人に注目され、関心を持たれることを日常として生きるようになったのだなぁ」ということ。
現代アートにこんな作品がある。
入場者が暗闇の階段を上っていくとステージに出る。スポットライトがあたり目の前には無人の観客席。そして中央に立つと、観客席に設置されたスピーカーから大音量で歓声があがる――。
これはつまり「自分がスターになった」という疑似体験をするアートだ。
このステージに上がった人の多くは、自分が一身に歓声を浴びることについて「鳥肌が立つほど快感」という感想を持つそうだ。そしてスポットライトを浴びたいという欲望を自分が持っていたことを自覚する。そういう作品だ。
SNSが普及した現代では、一般人でもふとしたきっかけでバズってものすごく大勢の人に注目されている気分になることがある。かつては芸能人とスポーツ選手と犯罪者くらいしか体験しなかった「注目されることの快感と不快感」を、誰もが意識するようになった時代だと言える。
注目される快感の虜になってバランスを崩す人や、逆に人から関心を持たれることに恐怖を感じてSNSから距離を取る人は20年前には決して存在しなかった。
そんな中でプロゲーマーやプロスポーツ選手というのは、「注目されることの快感と不快」を日常として生きる人々だ。
個人的な感覚として、アマチュアとプロの差で大きいのはお金をもらうかどうかよりも、注目と歓声を食べて生きる生物であるかどうか、じゃないかと思っている。
そして注目と歓声を浴びる日常をある程度以上すごした人にとって、歓声なしの人生に戻ることは想像以上に難しい。多くの場合その変化は不可逆で、元には戻らない。
引退した芸能人やプロスポーツ選手がトラブルに巻き込まれがちなのは有名だけど、生活レベルの変化以上に自分に集まる視線の量が乱高下することで精神のバランスが崩れるケースも多い。だからLJLから選手を引退した人がストリーマーのような形で見える場所にいてくれるのは嬉しい反面、実は少し心配していたりもする。
でも、プロになるっていうのはそういうことだ。試合の勝ち負けの評価と自分が集めた関心の量の評価を、いつだって二正面作戦で戦う険しい道なのだ。
で、話はEviさんの言葉に戻ってくる。この話は私の中では、4月に渋谷∞ホールで無観客試合が行われていた頃に始まっている。ガランとした∞ホールでRamuneさんが、無観客について「寂しい」と話してくれたのが妙に記憶に残っていた。
つい数年前まで、オフライン会場で観客の視線を感じながら試合をするのは緊張や慣れない環境でパフォーマンスが落ちるというのが一般的な見解だった。
Eviさんは割と早い時期から視線を力にするタイプだった気もするけど、Ramuneさんは確実に「緊張する側」だったと思う。というよりLJLプレイヤーを含めてゲーマーの多くは家でゲームをしているのが一番好きという人種で、最初から人に注目されるのが好きだったり得意だったりするのは少数派だろう。
それから数年で、選手たちの感覚はずいぶん変化したのだ。
そう考えてくれば、オンライン対戦の影響を口にしたのがDFMのEviさんだったのも納得がいく。DFMはLJLの中で、注目される機会がまちがいなく最も多いチームだからだ。
まだしばらく無感覚でのLJLは続くだろうが、ゲーミングハウスから一歩も出ずに公式戦があるという日常が彼らにどんな感覚を引き起こしたのか、自分の精神性が変化していくことについてどんな風に感じるのか、いつか話を聞いてみたい。
『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』が傑作だった
家にいる時間が長くなったのをきっかけにディズニーデラックスに登録してマーベルシネマティックユニバース、通称MCUを最初から観ている。
アイアンマンでヒーロー像のアップデートに驚き、アベンジャーズで先進性にふるえ、そしてシビル・ウォーでスコセッシとコッポラの完敗を悟った。
この文章の想定読者は、MCUをシビル・ウォーまで観た人。
エンドゲームまで観た人にとって意味のある文章かどうかは正直わからない。その理由は、1つは単純に観てないからで、もう1つはMCUがそれぐらい1作ごとにテーマと思想性を前進させてるから。
アベンジャーズ、アイアンマン3、シビル・ウォーの展開は完全に想像を超えてきた。だからエンドゲーム完走者には「ほお君はいまその段階にいるわけだね」とニヤニヤしながら見てもらえたら嬉しい。
まず私はMCUを、トニー・スターク=アイアンマンとスティーブ・ロジャース=キャプテン・アメリカの思想対立の話だと思っている。
進歩主義vs.保守主義、科学への信頼vs.科学への警戒、自由主義vs.民主主義、グローバリズムvs.ナショナリズム、……。トニーは民主党的であり、キャプテンは共和党的、と言っても大きくは外していないだろう。あらゆる価値観が2人の間で衝突する。
そしてMCUにはほぼすべての作品に「問題を解決するのは科学だ」という通奏低音が流れている。アイアンマン、ハルク、アントマンはまんま主人公が理系の技術者だし、他の作品にも科学者が重要なポジションで登場する。ヤンキー気質のマイティ・ソーでさえヒロインは宇宙学者だ。
なのでMCU全体としての主人公ポジションは、キャプテンというよりトニーである。世界は進歩する、21世紀の魔法の杖はサイエンスだ。
その世界で、古き佳きアメリカの象徴たるキャプテンの立ち位置は難しい。アベンジャーズ1でも、状況を打開したのはトニーとバナーの自称マッドサイエンティスト2人組の科学への無限の欲望だった。キャプテンの倫理観は善良だが旧弊に映る――。
というのがシビル・ウォーまでの2人の位置関係だ。
シビル・ウォーは、アベンジャーズが世界中で自由に活動することに国際社会が難色を示すところから物語が始まる。
そして「国連の指揮下に入れ」という要請をトニーが受け入れ、キャプテンが拒否したとき、私はまず驚いて、その後に深く納得した。解説しよう。
シビル・ウォーの前まで、トニーは圧倒的に個人主義者に見える。キャプテンは出自が兵士ということもあり、組織の結束を重視する。アベンジャーズ1でも「小異を捨てて大同につけ」とトニーを説得して、それをトニーは「ポリシーに反する」とつっぱねている。
しかし国連との関係では、アベンジャーズ内の結束をあれほど主張したキャプテンの側が提携を拒む。これはものすごくアメリカ的だ。しかも第2次世界大戦前の、キャプテンが生きていた時代のアメリカだ。
世界史に出てきたモンロー主義という言葉を覚えている人もいるかもしれないが、アメリカは第2次大戦が始まるまで、孤立外交が基本だった。これは個人も同じで、国家は孤立外交、個人は銃と車で自衛して自己完結。そして自分に関わる決定について一切誰の指図も受けないという自決精神がアメリカの骨法だ。それをキャプテンは体現している。
第2次大戦のスーパーソルジャーであると同時に、1922年にマンハッタンで生まれて23年間その時代を生きた青年でもあることがキャラに染み込んでいるのだ。なんて重層的な人物造形だろう。
そしてアベンジャーズ1まで、キャプテンはアベンジャーズを疑似家族にしようと試みている。シビル・ウォーの冒頭でもまだその希望を持っている。しかしカーターを失って完全に孤独になった後に、自分と同じ時代からやってきたバッキーとアベンジャーズの二択を迫られ、彼の個人主義は幼馴染を優先するのだ。そこに論理はない。ビジョンもない。「俺はそうする」というだけだ。
シビル・ウォーの最後でキャプテンは「僕が信じているのは一人一人の個人だ(My faith is in people, I guess, indivisuals)」と言う。フェアネスや組織ではなく、1対1関係、自分の感覚を信じている。それしか信じていない。
ここで、MCUにおけるトニーとキャプテンの立ち位置が逆転する。個人主義に見えたスタークが実は巨大なルールを志向するグローバリストで、集団主義に見えたキャプテンは自己の信念だけを貫く孤立主義者であることが明らかになる。
別の言い方をすると、トニーは世界の人々のフェアネスを重視するグローバルエリートだ。トニーの精神の同心円は自分<親しい人々<世界である。アメリカという国家への忠誠心は薄いが、世界を覆うフェアで巨大なルールを作ることの価値は疑わない。進歩主義だ。
しかしキャプテンの同心円は自分<親しい人々<<<アメリカである。
彼の価値観に「世界」はない。アメリカへの忠誠心は一見強いが、国家の都合は絶対に「自分の都合」に及ばない。そこに論理はない。親密度に基づく決断しかない。ある意味無敵だ。
それでもトニーとキャプテンは、人間としての信頼感で繋がっている。正義でもフェアネスでも価値観の一致でもなく、「あなただから信じる」という身勝手な理由だけが2人をつないでいる。そしてそれはキャプテンの土俵だ。
この瞬間、トニーとキャプテンの力関係もひっくり返る。トニーの正義はキャプテンを説得するには力不足で、協力関係の主導権はキャプテンの側に移っている。次作で2人の関係性がどう更新されるのか、どんな舞台設定がそれを導くのか気になって仕方がない。
シビル・ウォーが公開されたのは2016年5月6日、ドナルド・トランプが大統領選への立候補を表明する1カ月前だ。民主党と共和党に引き裂かれるアメリカを目の前にして、双方の陣営の精神性を描き、アメリカが没落するとしたら外敵にやられる時ではなく内戦=シビル・ウォーによって崩壊した時だと警告する。
(映画のパッケージでは、キャプテンが青く、トニーが赤く描かれている。青は民主党、赤は共和党の色なのでここでも反転が起こっている。そして青と赤が揃ってこそアメリカなのだ)
これは分断が進むアメリカに友愛をもたらそうとしたディズニーの闘争だ。お気楽なだけのヒーロー映画ではない。
ほとんどが民主党支持者のハリウッドで、リベラルを奉じるディズニーが、ここまでフェアにトニーの弱点を描き、キャプテンを魅力的に描く映画を作ったことも感動的だ。紛れもない傑作だと思う。